「身のほどを知れ」第六話
○1.江ノ島邸の玄関前(夜)
階段を上るようにして地表へ現れる沙織。すぐさま屋敷の玄関のほうを振り返る。
【沙織/紅葉鬼人】
「……」
沙織は自分の人格に戻りながら玄関へ向かうと、ドアのハンドルへ手を掛ける。
【紅葉鬼神】(声)
「待て」
【沙織】
「(じっと動かず)何?」
【紅葉鬼人】(声)
「……いいや、すまぬ。気のせいだったようだ」
【沙織】
「もう! ここに来てビビらせんのなし」
沙織が、すんなりとドアを開ける。
【沙織】
「(嘲るように)不用心なんじゃない?」
【紅葉鬼人】(声)
「大伴にも覚悟があったのだろうよ」
沙織は玄関の中へ入っていく。
○2.江ノ島邸の二階踊り場(夜)
沙織が階段を警戒気味に上がってくる。
【沙織】
「ゲストルームって、どこ? 二階って言ってたよね?」
【紅葉鬼人】(声)
「この先だ」
【沙織】
「なんでわかんの?」
【紅葉鬼人】(声)
「耳を澄ませ」
【沙織】
「(緊張して)え、何⁈」
【紅葉鬼人】(声)
「いびきだ。存外、豪胆なオナゴじゃな」
にかっと笑う沙織。奥の部屋を目指して駆けていく。
【沙織】
「(おどけて)なつぽ~い‼」
○3.江ノ島邸ガレージの外(夜)
面している道路には車も人影もない。
街灯の下に立つ諏訪。腕を組み、塀に寄り掛かっている。
【諏訪】
「……」
○4.沙織の部屋
ベッドで眠る沙織。頭や顔を始め、全身の至る所に傷の手当てが施されている。
制服姿の夏海がノックもせずにドアを開けて顔を出す。
【夏海】
「サオ~」
【沙織】
「(目を覚まし)ん?」
【夏海】
「行ってくんね。学校」
【沙織】
「(夏海を見て)うん……」
夏海は沙織の側へやってきて顔を覗き込む。
【夏海】
「なんか、逞しくなったなぁ……」
【沙織】
「うん……」
【夏海】
「病院抜け出そうとしてケガしたなんてあんたらしいけど、気を付けなさいよ」
【沙織】
「(微笑んで)うん、もう大丈夫」
【夏海】
「もうって何? 変なの」
【沙織】
「なつぽいには、あたしがいるから」
【夏海】
「それは、こっちのセリフ。じゃあ、行くね」
夏海は立ち上がり、沙織に手を振って去っていく。
【沙織】
「行ってらっしゃい」
沙織は起き上がって伸びをする。
【沙織】
「(身をすくめ)痛っ……!」
再び横になる沙織。天井を見つめる。
【紅葉鬼人】(声)
「後二日もすれば元通りだ」
【沙織】
「大姥様に恨み持ってる人って、もういないよね?」
【紅葉鬼人】(声)
「さぁな」
【沙織】
「なんで濁すの……」
【紅葉鬼人】(声)
「腹が減った」
【沙織】
「もう起きよっか!」
沙織はベッドから出る。
○5.自宅のダイニング
沙織がやってくるなり驚いて足を止める。
【沙織】
「誰⁈」
諏訪がテーブルの席に着いてくつろいでいる。
【諏訪】
「覚えてませんか? 長野の病院であなたを診察した……」
× × ×
〈フラッシュバック〉
病室で沙織を診察する諏訪。温和な笑顔で丁寧に接している。
× × ×
【沙織】
「お医者さん!」
【諏訪】
「そう、あの時の」
【沙織】
「なんで、ここにいるんですか⁈」
【諏訪】
「折り入って話がしたかったんですよ。あなた方と」
【沙織】
「いつ……って言うか、どうやって入ったんです?」
【諏訪】
「まぁ、こっちへ来てコーヒーでも」
キッチンからテーブルへマグカップが飛来すると、底から涌き出すコーヒーで満たされる。
【沙織】
「⁈」
【諏訪】
「トーストも如何かな?」
戸棚から飛んで来る食パンがトースタ―の中へ落ち、直後にトースターの電源が入る。
【沙織】
「何⁈ なんなの……⁈」
【諏訪】
「今更、とぼけなくてもいい。紅葉鬼人」
軽く目を伏せ、顔を上げる沙織。既に紅葉人と一体化している。
【沙織/紅葉鬼人】
「大伴の兄弟子といったところか」
【諏訪】
「(笑みを浮かべ)そう、安曇といいます。医者の諏訪というのは仮の姿」
諏訪の容姿が安曇仙人(年齢不明)へ変わる。
【沙織/紅葉鬼人】
「奴は渡さぬ」
【安曇仙人】
「あんな恥晒しは、どうでもいい」
【沙織/紅葉鬼人】
「では、何用だ?」
【安曇仙人】
「手合わせを願いたい」
【沙織/紅葉鬼人】
「何故に?」
【安曇仙人】
「屈辱なんですよ。山姥、山神として崇められているとは言え、あなたは一介の外法使いに過ぎない」
【沙織/紅葉鬼人】
「見栄か。くだらぬ」
【安曇仙人】
「仙人が、そんなあなたに負けたとあっては流石にねぇ……」
【沙織/紅葉鬼人】
「所詮は同じ人の子であろう」
【安曇仙人】
「やめて下さい。格も出自も違う」
【沙織/紅葉鬼人】
「お前たちには、どうも嗜みというものがないらしい」
【安曇仙人】
「これは失礼」
【沙織/紅葉鬼人】
「で? 今、ここでか?」
【安曇仙人】
「まさか。私たちの勝負なら、それに相応しい場所と時間が要るでしょう?」
【沙織/紅葉鬼人】
「申せ」
【安曇仙人】
「明晩、丑三つに神宮で」
出し抜けに狐色のパンがトースターから勢い良く飛び出す。
【沙織/紅葉鬼人】
「⁈(パンに気を取られる)」
即座に沙織は振り返るが、安曇仙人の姿は既にない。
紅葉鬼人の人格が鳴りを潜め、速やかに阿藤沙織へ戻る。
【紅葉鬼人】(声)
「喰えぬ男だ」
【沙織】
「雪辱を果たすためってこと?」
【紅葉鬼人】(声)
「詭弁だな。おおよそ、弟弟子を取り返しに来たのであろう。存外、絆は深いのやも知れぬ」
【沙織】
「(不満げに)……」
【紅葉鬼人】(声)
「何だ?」
【沙織】
「やっぱ知ってたんでしょ? まだ敵がいんの」
【紅葉鬼人】(声)
「希薄な気配には触れたのは確かだ。しかし、裏付けが無かった。許せ」
○6.夏海の部屋(夜)
消燈された暗闇の中、静かにドアが開くと、沙織が忍び足で入ってくる。
ベッドで熟睡する夏海。寝相がひどく悪い。
沙織が夏海の傍らに寄り添い、優しく髪を撫でる。
【沙織】
「(夏海の寝顔を見つめ)……」
沙織は自分の指先へ軽くキスすると、その指を夏海の額へ当てる。
【紅葉鬼人】(声)
「唾を付けたな」
【沙織】
「(小声で)愛情表現!」
【夏海】
「んん……(寝返りを打つ)」
【沙織】
「!」
いそいそと立ち去る沙織。こっそりとドアを閉める。
○7.明治神宮の本殿前(夜)
紅葉した森に囲まれた広い境内。灯りは何一つ点っておらず、辺りは静寂に包まれている。星空が美しい。
既に紅葉鬼人との一体化を遂げた、準備万端の沙織がやってくる。
安曇仙人が沙織を待ち兼ねている。手にはアガサの杖がある。
【沙織/紅葉鬼人】
「用意周到だな。鼠一匹おらぬわ。恐れ入った」
【安曇仙人】
「最近は至る所に人の目があるんでね」
沙織が二つの鎌をハーネスから同時に引き抜く。
【安曇仙人】
「もうですか? 気の早い……」
沙織/紅葉鬼人
「もはや御託もいるまいて」
沙織が突進すると、安曇仙人は杖を握る手に軽く力を込める。
木々の根元に積もった落ち葉から火が出ると、たちまち幾つもの巨大な炎の塊となって沙織を襲う。
炎をかわす沙織へ安曇仙人が驚異的な速さで接近する。
【沙織/紅葉鬼人】
「‼」
衝突で砕けた炎の塊の一部は狼を形作ると、次々と沙織に牙を剥いて襲い掛かる。
沙織は安曇仙人と刃を交えながら炎の狼たちを倒していく悪戦苦闘。一旦、隙を見て退避する。
宙を舞う炎の塊と身構えて唸る炎の狼たち。沙織を囲んでいる。
【安曇仙人】
「暖まったでしょう」
沙織が両手を横へ広げて手招きするや、手水舎や井戸、池から無数の水滴が一斉に空へと立ち昇る。
【沙織/紅葉鬼人】
「お前こそ頭を冷やせ」
空から怒涛のような大雨が降り注ぎ、全ての炎を消し去る。
【安曇仙人】
「うまいな(払い除ける仕草)」
突風が巻き起こり、全ての雨を薙ぎ払う。
安曇仙人が踵を小さく鳴らすと、複数の大柄な泥人形が石畳を押し退けて地上へと姿を現す。
泥人形たちの緩慢だが強力な突きや蹴りをかわす間に沙織は両手を天へ向ける。
沙織の前へ飛び出す安曇仙人。杖で横一線する。
沙織は後方へ大きく跳躍し、着地と同時に両腕を振り下ろす。
幾筋もの稲妻が空から落ちてきて、泥人形たちを粉砕する。
【安曇仙人】
「これは青天の霹靂」
沙織が再び両手を天へ向ける。
空に稲妻が走り、落ちてきては沙織の両掌に集まる。
【安曇仙人】
「!」
安曇仙人は咄嗟に両手を胸の前で合わせる。
足元に散らばる石畳が安曇仙人の前へ飛来して集まり、重厚で堅固な盾となる。
【沙織/紅葉鬼人】
「喰らえ!」
沙織が両手を安曇仙人に突出し、一気に放電する。
安曇仙人は電光を盾で受けて耐え忍ぶも、その盾は木端微塵になる。
衝撃で吹き飛ばされる安曇仙人。とうとう倒れる。
【沙織/紅葉鬼人】
「高が山姥と見くびる勿れ」
安曇仙人が痛みを堪えながら立ち上がる。
【安曇仙人】
「(顎で指し)あいつが、そこにいるのは知ってる」
沙織は腰のハーネスに納めたスキットルを一瞥する。
【沙織/紅葉鬼人】
「どうでもよいのではなかったか?」
【安曇仙人】
「気が変わった」
安曇仙人が杖をひと撫でし、直刀に変える。
【沙織/紅葉鬼人】
「古風な代物だな」
安曇仙人の先手で膠着状態が破れ、沙織と安曇仙人の争いは斬り合いと当て身の応酬による体力勝負となる。
戦いの途中、安曇仙人の直刀の切っ先が沙織のハーネスを掠めてスキットルが落ちる。
一進一退の攻防の中、一旦は安曇仙人がスキットルを拾い上げるものの、すぐさま沙織が不意打ちで深手を負わせて取り返す。
【沙織/紅葉鬼人】
「手癖の悪い」
安曇仙人がスキットルに執心し、優勢になる沙織。二つの鎌を左右に広げて横一線に安曇仙人の首と胸を切り裂くや、続け様に首の付け根と脇腹へ鎌を深く突き刺す。
安曇仙人は直刀を落とし、片手、片膝を突いて体を支える。
【沙織/紅葉鬼人】
「お前も転生するのか?」
沙織も満身創痍。肩で息をしている。
【安曇仙人】
「私が欲しいのは不死だ。完全な不老不死」
【沙織/紅葉鬼人】
「見せてみよ」
【安曇仙人】
「不死はない。長寿はあっても」
【沙織/紅葉鬼人】
「それが真理だ。三千世界にも終わりはある」
【安曇仙人】
「(口元を緩め)知っていたのか……」
安曇仙人が唐突に二つの鎌を掴む。
【安曇仙人】
「むあっ‼(鎌を引き抜く)」
鎌を落とす安曇仙人。傷口からどっと鮮血が溢れ出る。
【安曇仙人】
「見るに魂は不滅なようだ」
【沙織/紅葉鬼人】
「実のところ、それは俺にもわからぬ」
【安曇仙人】
「(にやりとして)……」
倒れ込み、息を引き取る安曇仙人。見る間に老いさらばえ、干乾びてミイラ化すると土に還る。
【沙織/紅葉鬼人】
「限りあるからこそ、人は懸命に生きるのさ」
紅葉鬼人が退き、沙織だけの人格に戻る。
沙織が、おもむろに空を見上げる。
無数の星が瞬く秋の夜空。
【沙織】
「……なんか、すごいきれいに見える」
【紅葉鬼人】(声)
「さぁ、行くか」
鎌を拾い上げる沙織。よたよたと歩き出す。
【沙織】
「痛いし疲れた……」
【紅葉鬼人】(声)
「どうせ明日もイトマじゃろう」
【沙織】
「あのね、大姥様。あたしの高校生活、あと数か月なんだよ? わかってる?」
沙織は足を引き摺るようにその場を後にする。
<続く>
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