愛されたがりの死にたがり

 連投・づめ子です。

 以前Twitterでおバズり申し上げていた気がする、死にトリさんの「つらチェック」。
https://shinitori.net/diagnosis/ 
おバズっているときに一回やって、その時のスクショを昨日見つけました。つらいの中身がかわっているかも!と昨日の深夜に再度つらチェックを受けてみました。

結果、「人生ハードモード」。二度目の。

 願望に対する4つのカテゴリーと8つの項目があるんだけど、愛嬌ポイントと世渡りポイントが下がっていました。おおん。つらチェックによる死にたいは4つのカテゴリーに2つずつ対応する項目間のギャップで数値化されています。なんか全体的にちょお~~~っとずつ下がってて、ギャップ数値自体はそんなに変化はなかったかな。

 前回も今回も変わってなかった診断結果の一つに「やっぱだよなあ」ってのがありました。

「あなたは周囲から好かれたい、嫌われたくないという気持ちがどちらかというと強いと思われます」

 周囲から嫌われたい、好かれたくないという人はいないと思います。生きづらくなっちゃうしね。自覚しているのですが、私はそこそこの愛されたがりです。誰かのお気に入りになりたいし、親友的存在になりたいし、特別な存在になりたい。どうしてそんな気持ちが自分の中で強いのか。

 20年とちょっと生きてきた私の人生の中に、親友という存在はいません。

 誰かの特別だったり、大切だったり、そんな親友というポジションにたったことがありません。好きな友達はいます。でもその子たちにはもっと仲のいい別の友達がいます。私の中にも「私が一番仲のいい子」という人はいません。

 Twitterやインスタグラムで流れてくる、#親友 #best_friends  の投稿や、なんか…こう…「チーム〇〇」みたいなグループ名がある感じの仲良し集団。早いうちにネットの世界に足を踏み入れたので、そういう友達投稿を長くみてきました。そういったついっとを見るたびに、「ほほえましいなあ」という気持ちと同居する、「いいなあ」の気持ち。

「私も親友がほしい」と思うようになりました。なんでも話せて、素の自分を出せて、ずっと一緒にいてもしんどくない、そんな存在が欲しかった。

 そんな気持ちを持ち続けて大体5年くらい?なのでわかったことですが、そんな下心を持っていたところで親友ができるわけなかったです。つか今もいないです。結局親友なる存在の友人はできなかった。

 私の駄目なところに、「期待の押し付け」があります。こうしてくれないかな、こういうことしてくれないかな、こんなことを一緒にしてくれないかな、こういう子でいてくれないかな。そんな勝手な期待を友達に押し付け、そして勝手に失望して落ち込みます。くそです。クズです。

 そりゃ親友なんてできんよな~友達が今も仲良くしてくれているだけめちゃめちゃありがたいよな~~と思ってはいますが、今もあらゆるものに期待を押し付ける癖は治っていません。

 この癖、自分にも向きます。自分に過度な期待をして、できない自分に失望して絶望して、どんどん自分を嫌いになります。顔面も良くない、性格もブス、何もかもが中途半端な甘ったれ。そりゃあ誰にも愛されない。

 私の死にたいは、何もなし子の自分のまま、満たされる人間関係を求め続けていることです。

 痛いことは嫌いなので、私はずっと生き続けます。だからといって、死にたいが消えることはありません。私は私の死にたいと一生一緒にいなくてはなりません。死にたいね。でも死にたくないから生きようね。今日の晩ごはんはバター醤油のパスタです。私のエネルギーの糧にします。

あなたの死にたいはどこから?

わたしは、わたしから。

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