えんとつ町のプペルが教えてくれた「知らない価値」
あんたも作品の作りってやつに思いを馳せることがあるかい?
えんとつ町のプペルの映画を見てからこっち、「作品の作り」って観点が俺のコンテンツの楽しみ方に加わっている。
なんやかんや言っても、俺が西野亮廣という人物のファンであることは変わらないんだけれども、それでも西野亮廣さんが作ったコンテンツが俺にとってギリギリ楽しめる60点の作品だったことは結構なショックだったんだよ。
今までの西野亮廣さんの発信している内容から、俺は映画えんとつ町のプペルに俺の期待を120%超えてくることを期待してしまっていたからね。
今回はそんな俺を過去に感動させてくれた作品の作りについて考えてみる回だ。
ちっと一緒に俺たちの感動がどうやって作られているのかってことを考えてみようぜ。
エヴァンゲリオンに俺たちが寄せている期待
エヴァンゲリオンあるじゃんか。
多分、今年2021年に期待されている映画の中でもワリカシ群を抜いて期待されている作品だと思うんだよ。
こう言っちゃなんだけれども、えんとつ町のプペルより俺は絶対楽しむ自信があるんだよな。
いや、ヒト様の作品で自信とかなんだって話なんだけれどさ。
この期待ってどっから来ているんだろう?
多分だけれども、今までの「期待を超えてきた実績」が俺の期待の源泉なんだと思うんだよ。
最初のTVシリーズを見たときも、初回からものすごいキャッチーなセリフを散りばめながら「なん何だこれは」って終始思っていたことを思い出す。
この「想定を超える何か」ってのがエヴァンゲリオンの魅力の根幹にあるんだと思うんだよね。
えんとつ町のプペルが想定を超えられない構造
俺にとってえんとつ町のプペルって作品は絵本や動画などの媒体を通じて得ている以上に事前情報が多い作品だった。
西野亮廣さんのオンラインサロンに入らせてもらっているので、映画えんとつ町のプペルがどうやって仕込まれているかとか、どういう物語なのかって情報が過剰なまでに俺の中に仕込まれている状態で映画を見に行ったんだよ。
その結果、俺が感じたことは「思ったとおりだなぁ」って感じだった。
何も想定を超えてきていない。
何もかもが想定通り。
想定通りきれいな映像だし、想定通り声優陣の声の魅力を引き出しているし、想定通りメッセージ性もある。
あんたも映画えんとつ町のプペルを見たときに同じ様な感想を持ったりしなかったかい?
俺たちはあの作品について、思い入れが大きすぎて、作品を楽しむ前に情報をあさりすぎて、作者である西野亮廣さんに期待をしすぎていたのかもしれない。
BBQ型エンタメが主流になる世界観
でも実際問題、俺たちが味わうエンタメはどんどん「主体的に楽しむ」ってことが求められているってのもあると思う。
言葉的にはBBQ型エンタメってやつだ。
西野亮廣さんも言っている通り、サービスの質が高まりきってしまっている現代において、サービスの質での差別化は難しい。
だからこそサービスを一緒に作るってエンタメが意味を持ってくる。
その流れは自然だし、その価値も非常に大きいと思う。
でも、映画えんとつ町のプペルはその難しさってやつを気づかせてくれた。
俺たちは「知らない」という価値を思っている以上に重要視していたってことなんだよな。
知らないってことがその知らないものへの否定につながるって事実もあるとは思う。
でもそれ以上に知らないことが与える魅力ってのもある。
その事を俺たちは知らなかったのか?
いや、知ってはいた。
でもBBQ型エンタメってものが持つ魅力故に「知らないことの魅力」ってのを無視しちゃってたのかもしれない。
検索によってありとあらゆる情報を手に入れられる世界で「知らないこと」の意味を、俺たちはもう一回考えてみる必要があるのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは、どうしたら作品を純粋に楽しむことができるようになると思う?
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