ジェンダーステレオタイプという呪い

あんたもジェンダーについて考えることがあるかい?

ちっと前だと森元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会長の一連の発言を元に結構感情的な反応がネット上で散見されてたよな。

そこで、ふと感じたことがあるんだ。

この「問題」に対して感情を表に出しながら表現しているヒトって女性が多くないか?

何?女性蔑視なんだから女性が怒るのはあたりまえだろうって?

でもさ、それが問題だってんなら、その根本原因をヒトの個性に求めるんじゃなくて、その発言の本質とその発言が発生した背景について分析することが解決への唯一の道じゃんか。

だって「森さんイクナイ!」っていくら個人を攻撃したところで、その発言が発生したメカニズムをきちんと総括しないことにはその「問題」は再発するに決まってるもんな。

今回は課題解決に対して感情を表に出すことの性差について考えてみる回だ。

かなりセンシティブな内容だけれども、付き合ってくれよな。

感情を表に出すことの正当性

長年オッサンをやっているとこの感情を表に出すことのデメリットってやつを嫌ってほど経験してきているんだよな。

感情を元にいろんな問題を検討すると、行き着く先は個人攻撃でしかなくなっちまう。

個人攻撃という手段はヒトの廃絶しか解決方法が無くなってしまうので、本来であれば活用できたマンパワーをみすみす捨てちまうことになるんだよね。

なので、問題が発生するメカニズムを必死になって考えて、その根本原因を理解し、その原因に対する対策を具体化していく。
それが基本の行動だと俺たちオッサンは肌で感じ続けているわけだ。

そのはずなんだが、森元会長の件ではこんな記事が普通に出てきている。

この記事にこんなくだりがある。

相模女子大学特任教授の白河桃子氏は、「会議に入る女性は『わきまえろ』と言っているとも取れます。ジェンダーステレオタイプによる偏見、差別発言を公人、しかもトップが公の場で発してしまう。女性はもっと怒ってもいいんじゃないでしょうか」と指摘する。
出典:上記記事

大学教授という論理の塊であるはずの人物が「怒っていい」と感情の発露を促している。
信じがたいことだ。

しかも問題の本質を捉えるための考察は全くせずに森元会長の個人攻撃に終止している。
とても問題解決を目指しての発言とは読み取れないんだよな。

感情の発露における性差

でもこれって一般的な発言とも思えるわけだ。

女性がジェンダー問題を語る場合にはどうしても感情を伴っていることが多いってのは誰でも感じていることだと思うんだ。

もちろん感情的になる男性もいるとは思うよ?
でも圧倒的に目立ってないってのが俺の感覚なんだよな。

これはなんでなんだろう?

ちょっと調べてみたらこんな論文があった。

「感情の表情表出における状況と性別の効果」というタイトルの論文だ。

この中でこんなことが書いてある。

それぞれの文化の中にジェンダーステレオタイプが存在し,表示規則の一部として,男女の感情表出の違いを形成しているのかもしれない。
出典:上記論文

まあ、予測に過ぎない表現ではあるけれども、ジェンダーステレオタイプ(男性はこう言うもの、女性はこう言うものって型)によって、男性は感情を表に出さないもの、女性は感情を表に出すものって既成概念が出来上がっているから女性は感情を表に出しているって事が書かれているわけだ。

それってさ、なんかものすごい皮肉だよな。

だって、ジェンダーにまつわる問題を語っているヒトそのものがジェンダーステレオタイプに縛られているって意味だもんよ。

さっきも書いたとおり、俺の考えとしては感情を交えた問題解決は個人攻撃にしかつながらないと思っているんだよ。
もしかしたらこれもジェンダーステレオタイプによる考え方なのかもしれないけれどさ。

でも感情は感情でしか対応できないってのは真理だと思わないか?
だとしたら、感情で問題提起したら、感情で問題に対応することになる。
そしたら、その時の気分で問題への対応が千変万化することになりかねない。
感情ってのは法の支配っていう俺たちが獲得した世界を平和にする方法の真逆に位置するものだからね。

なので、問題解決の手段として感情を使うってのは本質的に危ういはずだとあんたも思わないかい?

その前提に立ったときに、ジェンダーステレオタイプによって女性が感情を表に出すものって感覚に男性も女性自身も縛られているとしたら、そいつはとんでもない悲劇だと思う。

お互いに手を取り合って問題の本質に対応することができないって結論になっちまうからね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはジェンダーステレオタイプの呪縛から逃れて問題の本質を共有する事ができると思うかい?

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