おばちゃんたちが求めていたもの
あんたは、ぼやいているかい?
まあ、相も変わらず満員電車にぽぽぽぽ揺られて、タイムカードと八時のデートなわけだが、(このフレーズでピンときたやつ、後楽園ゆうえんちで僕と握手!)その満員電車の中で、今日はちっとばかし考えさせられることがあった。
まあ、俺が乗る電車って、体の形が変わる勢いで混んでいるんだが、その中で、まあ職場の愚痴を漏らし合っているおばちゃんたちがいた。
電車の中のモニターで水原希子さんのCMが流れていた。
このシリーズだな
で、盛大に手羽先を頬張る水原希子さん。それを見ておばちゃん。
「まあ、みてあの食べ方」
「そう言えば、この間〇〇さんがおんなじような食べた方してたわ」
「まあ、恥ずかしい。何のためにマナーがあるか習ってこなかったのかしらね。」
「そうね、マナーは相手を不快にしないためのものですもの」
「育ちが悪いんでしょうね」
云々カンヌン。
いや、あのさ。
今、この瞬間俺たちは体の形が変わる勢いで満員電車に揺られているわけだが、そこでこの会話を聞いた人の気持を考えるのはマナーじゃないのかね?
そこで思った。
人間、想像力ってのは大切だな。
要するに、このおばちゃんたちは自分たちの会話が周りの人を不快にするだけじゃなくて、その会話そのもので自分たちの気分を落としていることを気づいていないわけだ。
そもそも水原希子さんは仕事の演出として、その手羽先を食べているわけだし、その演出の目的ってのもある。
そのくらいの想像も出来ていないのか?このおばちゃんたちは。
と思ったが、実のところ想像もできていないってのはチット違うかもしれない。
要するにこの毒を吐きあう会話があのおばちゃんにとって必要なことなんだろう。
会話が成り立っていること。それがあのおばちゃんたちが望む唯一のものだったんじゃないか?
だったら、もうちっとまともなこと話せボケって言いたいところだが、そこは個人のエンタメ力ってもんだから、責めるのはコクってもんだろうな。
おばちゃんたちが求めていたもの。
それは共感だ。
人はただ共感を求めて、それこそ体の形が変わるような、もしくは鞄の中のタブレットが割れるような混雑の中でも会話を続ける。
あんたは誰かと共感しているかい?
あんたは俺と共感できたかい?
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