交通事故の責任をヒトから奪えるのか
あんたは自分で運転するってことに対してどんな感覚を持っているのかね?
30代の頃くらいは、ワリカシドライブでどっかに行くってレジャーを楽しんでいた記憶があるんだけれども、今はぶっちゃけ、車の運転なんてリスク以外の何物でもないって感じる事が多いんだよね。
ここ最近は、明らかに判断能力が衰えているって感覚があって、それが運転という瞬発力を要する判断を使う行為では、より「危ない」って感覚があるのよ。
特に夜の運転では視覚が弱っているって感覚が顕著に出てる気がするんだ。
俺ですらそうなんだから、親の世代には一切運転なんてしてほしくないってのが実感なんだけれども、地方での生活では運転を全くしないなんてのはリアリティが無いってのもわかるんだよな。
今回は老いる中での運転ってやつについて考える回だ。
これからの世界で運転って行為がどうなっていくのか、ちっと想像してみようぜ。
自動運転という技術
自動運転なんて夢のまた夢みたいな感覚が俺の中ではあったんだけれど、現実には地域限定とは言え、こんな感じで物事は進んでいるらしい。
マジか。
ラスベガス限定とは言え、無人ってのがもう実現しているってか。
これ法律的にはどうやってクリアしてるんだろう?
自動運転の自動車が事故を起こした場合の責任ってのはどこに向けられるんだろう?
自動車メーカー?
自動車の保有者?
サービスを利用したヒト?
自動運転の車によって命を落としたヒトの家族はどこに感情を向ければ良いんだろう?
老化による運転能力の低下
でも、そんな心配よりも、今現在の問題として御老体による事故によって多くのヒトが死傷しているってニュースが日常的に流れているってのも事実なわけなんだよな。
おそらくだけれども、今の御老体(俺も含む)によって交通事故が起きるリスクと、自動運転によって交通事故が起きるリスクを天秤にかけたら、自動運転のリスクのほうが低い状況は近い将来に出来上がると思う。
てか、今現在ですら低いかもしれん。
御老体による交通事故のニュースを聞かない日なんて無いくらいのイメージだもんな。
だとすれば、俺たちは運転って行為からできるだけ遠ざかるほうが良いって話になる。
考えてみれば、運転という行為で被害者になったり加害者になったりするヒトってのはどっちのケースも高齢者が多いってのがあると思う。
ぼんやりこの辺の数字を眺めてみると、死傷者が高齢者に偏っているってのが見て取れるんだよね。
思うに、高齢者になった状態で「加害者」になるってのはものすごく負担がでかいと思うんだよ。
ただでさえ、適応能力が落ちてきている状態で、投獄という究極の状況変化に対応する必要があるわけだからね。
しかもその原因が自分の過失という逃げようのない状況によって生み出されたとしたら、メンタル的にも非常に厳しいことになると思うんだよ。
現実的に高齢者が取れる方法
現実的には、これらのリスクをどうやって回避できるんだろう?
たぶん公共交通機関を活用するってのがいの一番に考えつくところだよな。
でも、特に地方での環境を考えると公共交通機関がそれほどまともに活用できる状況にないってのも想像に難くない。
首都圏ならまだしも、地方によってはタクシーすらまともに呼ぶことも出来ないってのは普通に起きている状況だって聞いたりもする。
その結果として、できるだけ出歩かないみたいな消極的な方法を取らざるをえない状況があるってのも想像できる。
そして、そんなのは生き物としての劣化を促進する行為にほかならないわけだ。
いやはや、八方塞がりだね。
仮に自動運転が現実のものになったとして、公共交通機関が拡充するって未来につながるんだろうか?
それこそ自家用車を自分で運転することなく、様々な場所にアクティブに移動することが実現された世界観。
そんな状況が日本の隅々にまで実現された世界観。
こんなのが実現できるようになるためには、いったい何が必要になるんだろうか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが交通事故の責任を追わなくなる世界観をどうやったら手に入れられるんだと思う?
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