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議員の男女比率

あんたは女性の政治参加ってキーワードを聞いていたりするかい?

いつも書いているけれど、女性だとか男性だとかってでかい主語を使った意見ってのはいろんな軋轢を産んだり、そもそもその言葉に対する結論に個人単位でたどり着けないことが多くあると思う。

と書いておきながら、俺の低めのアンテナにこんなニュースが引っかかってきた。

ほほう。
あの何かと物議を醸すジェンダーギャップ指数がちっと改善するって話なのかな?

今回は女性の政治参加ってことについて考えてみる回だ。

自分で書いといて何だけれど、主語がでかい話なので結論にまで行かないと思うけれど、ちっと付き合ってくれよ。

杉並区議会に現れた変化

上の記事をざっと読んでみたんだけれど、区長が女性になり、半数の区議が女性になったことで、何が起きたのかってことをかいつまんで書いてある。

ざっくり「あんま変わんない」って読み取ったんだよね。

あえて言うなら生活よりの議題が増えたってくらい。
悪い言い方に変えると枝葉末節な議題が増えたって感じかな?

まあ、当たり前っちゃー当たり前の結論だ。
そもそも「女性のために!」とか「男性のために!」なんて機動戦士ガンダムSEEDの世界みたいな二分化された状態を目指す現実の政治家なんてそうはいない。

政策の整合性を取るのが難しいもんな。そんなん言い出したら。

政治の世界ってのは究極的な人間関係の調整の世界だ。
そこに女性だとか男性だとかって垣根を設けていたら実現したいことという本来の目的に達することが出来ない。

議員同士の関係性だけじゃなくて、女性の議員さんだって男性の陳情は受けているだろうし、男性の議員さんだって女性の陳情を受けていると思う。

そこに性別での敷居を設けている政治家なんていないんじゃないか?

政治信条と性別

もちろん政治家である以上は政治信条ってのを持っていると思う。

「これを実現するために政治家になる!」

そう言う強い思いがなけりゃ政治家なんて滅私奉公に身を投じるなんてデキッコナイスだもんな。

ではそう言う強い思いってのはどこから来ているのか?

いろんな理由があるとは思うんだけれども、たぐり手繰っていくと最終的には「そのヒトの生活環境」ってことになると思う。

自分自身が何かで困っているケースもあるだろうし、周りで困っているヒトを見て義憤にかられるケースもあるだろう。

ポイントはこの困っているって判断をすることに性別ってのが影響することがあるのか?って話だ。

おそらく現状では性別が政治信条に与える影響は「ある」ってのが現実だと思う。

ただ、これは明確な性差によるものってよりも、女性に社会が求めていると「思われている」もの。男性に社会が求めていると「思われている」もの。
そう言う社会通念ってやつの影響が強い気がする。

そうあれかし。
俺たちが生きている社会では性別というでっかい単語ですらそう言う「役割」を求めているってわけだ。

選挙の投票先

で、そう考えるとだよ。

俺たちは選挙のたんびに投票先を選ぶわけじゃん。
いや、選挙行ってないってヒトもいるとは思うけれど。

その投票するヒトをどうやって選ぶのか?

本来は政策を見て投票をするってのが筋だと思うけれど、たぶんそんなことを出来ているヒトはほとんどいないと思うんだ。

特に区議なんてなったら区議会が決定できる政策範囲ってのを理解しているヒトそのものが少ないと思う。
ってか俺もよくわかってない。

で、しゃあないから支持政党とかで投票先を決めたり、なんなら「見たことあるヒト」に投票するわけだ。

もっと言えば「あらこのヒト美人」だとか「このヒトダンディだわ」で投票することもあるだろう。

いや見た目は人格を表すってのもあるとは思うよ?

ただ、多くの議員は本来の政策での評価を受けて信任されていないんじゃないかってイメージが有るってことね。

でもじゃあ、なんで女性議員が相対的に少ないんだ?

これさ。
男女ともに女性が政治を担うことを信任していないってことなんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

どうやったら性別じゃなく政策で俺たちは議員を選べる様になるんだろう?

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