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えんとつ町のプペルの「悪」を考える

あんたもえんとつ町のプペルを楽しんでいるかい?

俺としてはスゴイ期待をしていたぶんだけ、ショックも大きい作品だったんだけれども、それでも作画の素晴らしさ、声の素晴らしさってやつには眼を見張るものがあったと思うんだ。

プペルの声とか、もう圧巻だったもんな。

で、えんとつ町のプペルという作品を考えていく中で、あまりにも回収されない伏線が多いってのがいろんな意見として散見されている。

今回は、そんな伏線を勝手に妄想して話を膨らませてみようって回だ。

ちっとオッサンの妄想話に付き合ってくれよな。

異端審問官という存在

前にもえんとつ町のプペルという物語では敵役の魅力があまり描かれないってnoteを書いたんだよね。

なら、この敵役を映画を見る側が勝手に想像してみたらどうなるんだろう?

えんとつ町のプペルの敵役といえば異端審問官だよな。
あの得体のしれない組織はおよそヒトとしての人格を持っていないんじゃないかくらいの勢いで描かれていたと思う。

象徴的なのが、異端審問官が全員マスクをして個性ってものを消されていたってところだと思うんだよね。

もともと異端審問ってのはキリスト教の教えに反するヒトを規制するための組織なんだそうだ。
その意味ではえんとつ町の閉鎖性ってのは宗教みたいなものだってことなのかもしれない。

そう考えると西野亮廣さんのオンラインサロンが宗教みたいだって評価を受けていることのアンチテーゼってことなのかもしれないな。

で、その異端審問官が全員マスクをしているってのはSNSでの匿名性ってやつを象徴している様に感じたんだよね。

異端審問官はえんとつ町の平和を守るための存在だ。
腐る貨幣であるLによる経済圏を守ることで、外の世界の資本家という搾取者から人々を守る役割。

その「正義の味方」が顔を隠す必要がなぜあるんだろう?

正義の味方が顔を隠す意味

2020年って年を振り返ってみると、俺たち自身が如何に「正義の味方」として多くのヒトを批判しているのかってのを嫌ってほど実感した年だった気がするんだよ。

去年にこんなnoteを書いたことを思い出す。

木村花さんの悲劇は俺たちの記憶に残っていると思うんだよ。

あの悲劇は多くのヒトが抱えていた顔の見えない正義ってやつが生み出してしまっていたと思うんだ。

顔が見えないことと、正義って免罪符がヒトをいかに残酷にしてしまうのか。
その象徴的な存在として異端審問官が描かれていたんだと思うわけだ。

スーさんという存在

そんな顔の見えない異端審問官という存在の中で数少ない顔の見えているキャラクターの一人にスーさんがいる。
実のところ、このスーさんってスゴく読み解きが難しいキャラクターだと思うんだよね。

スーさんってスゴイ重要な役割を担っているキャラクターだと思うんだけれど、今検索してみても、画像検索でズバリな映像が引っかかってこないくらいに注目されていない。

でもスーさんって存在って結構な疑問を抱えているキャラクターだと思うんだよ。

だってさ。
何を考えて「異端審問官には気をつけろ」ってルビッチに言ったのか?
何を考えて異端審問官を続けながらえんとつ掃除夫を続けていたのか?
何を考えてダンさんをえんとつから落としたのか?

ちょっと考えるだけで、これだけの疑問がわくキャラクターってそうはいないだろ?

異端審問官であることを微塵も想像されていなかったスーさんは「異端審問官に気をつけろ」なんて事を言うのはリスク以外の何物でもなかったはずだし、えんとつ掃除夫を日々続ける必要性もない。
そもそもダンさんを暗殺するって意味が無い。

プペルをかくまっているっていうことに対する見せしめとするなら、普通に法に従ってさばくほうが圧倒的に効果的だ。

なんで、スーさんは暗殺なんて方法を取る必要があったんだ?

多分、スーさんは監視社会ってものを象徴する存在なんだってことだと思うんだよ。
そのためにスーさんは「悪」として描かれる必要があったと思うんだ。

ううん、でもなぁ。
あくまで「密告者」として描いたほうが「悪」として強調されたと思うんだけれどなぁ。

なあ、あんたはどう思う?

スーさんって本来はもっと魅力的な存在だったような気がしないかい?

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