とある「黒猫」の物語
あんたにも好きな曲ってあるかい?
音楽はいいよな。
ホント、リリンの生み出した文化の極みってやつだ。
俺の場合、曲の音楽性ってのはそんなに語り尽くすことができるほどは詳しくないんだけれど、歌という表現を通じて表現されている音楽は、その歌詞が表現しているものがものすごく心の底の方に直接響いてくることがある。
多分だけれども、音楽が表現している「何か」が俺の心の壁を素通りして俺の心の奥底にまで言葉を届けてくる感じ。
今回は、そんな風に俺の心の壁を通り抜けて来てくれた歌を紹介する回だ。
まあ、あれだ。
オッサンの涙もろいやつだよ。ホント。
ただ、存在が心に響く歌
今回、書いてみたくなった歌はちょっと古い歌になると思う。
Bump of chikinさんの「K」という歌だ。
まあ、聴いたときないってあんたが言うのなら、まずは動画を眺めてみてくれよ。
マジで。
時間をムダにすることは無いと思うから。
聴いたかい?
ならちっとこの歌のことを語ってみようか。
まず、この歌を初めて聴いたってあんたはこの歌の物語について何か前提知識を持っていたわけじゃないよな?
俺もはじめにこの歌を聴いたときは何も知らずに聴いたんだよ。
でもさ。
あっという間だ。
あっという間にこの歌が描き出す物語の世界観に惹き込まれてしまった。
多くの楽曲に対して、歌詞ってのがでっかい意味を持つことは結構ある。
特に何かとタイアップしている楽曲の場合はその傾向が強い気もする。
ただ、この「K」の場合。
その歌詞単体が持っている力強さがめちゃくちゃある気がしないか?
俺たちはこの「黒猫」のことも「絵描き」のことも「恋人」のことも何も知りはしない。
でも、そのすべての登場する気持ちってのがエグいくらいに俺たちの心の中に再現されている気にさせられる。
その背景も生い立ちもなんにも知らないのにだ。
俺たちはこの歌を聞くことで、俺たち一人ひとりが感じる物語を自然と俺たちの中に作り上げていっている気がするじゃんか。
「K」が作り上げる俺たちの中の物語
そうなんだよな。
この「K」を聞くことで、俺たちは本当に自然にその物語の行間を感じ始める。
なぜ「黒猫」は忌み嫌われる存在だったのか。
そのこと一つとっても、今で言う多様性の課題のような物語を思い起こすことができる。
「黒猫」は黒いというだけで、世の中から疎まれている存在だからね。
さらには「孤独へと逃げた」というたった一つのフレーズで「自分は誰かから受け入れられて良い」という誰しもが抱えながら疑っている疑問を真っ向から否定してくれている。
そんな「黒猫」を初めて受け入れた「絵描き」もまた「逃げた」存在だ。
何からって?
現実からだ。
この「絵描き」は「夢を追いかけて」いたわけじゃない。
ただ現実から「逃げる」ために「絵描き」だったんだと思う。
なぜって?
「絵描き」になるためだけだったら、故郷から出ていく必要はなかったんだ。
故郷には恋人もいるし、生活基盤だってあっただろう。
でも、「絵描き」にはその故郷という現実に耐えることが出来なかった。
そして、そこから「逃げた」。
だからさ。
「絵描き」は「黒猫」に語りかける。
「僕らよく似ている」と。
そして、「恋人」もまた「逃げて」いる。
何からか?
「絵描き」と向き合うことからだ。
おそらく「恋人」は「絵描き」が故郷から出ていった時点でやり取りをしていなかったんじゃないかと思う。
「黒猫」の持ってきた手紙が最初で最後の連絡だったんじゃないかって思う。
そして、その手紙には何が書いてあったんだろう?
きっと、こうだ。
「この、黒猫は『ホーリーナイト』。この子のことを頼む」
「絵描き」は自分のことを嘆くよりも「黒猫」の行く末を気にしてたんだと思う。
突然、行動不能になってしまって、誰かに「黒猫」を預けるってことも出来なくて、朦朧とした意識の中で「僕の帰りを待つ」と言う暖かな幻想にすがりながら、震える手でなんとか手紙を書き、それを「黒猫」に託す。
その手紙を読んだ「恋人」は自分がどれだけ「逃げて」来たかってことに気づく。
「恋人」は唯一未来を持っているヒトだ。
唯一「逃げる」ことをやめることができるヒトだ。
その象徴が「Holy Knight」の墓。
そんな情景が浮かんできたんだよね。
なあ、あんたはどうだい?
この「K」という物語からどんな物語が浮かんでくる?
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