子供とルールと会話と
あんたの家も子育てに翻弄されているかい?
我が家の一人息子もそれなりに頑張って育ってくれているとは思うんだが、時々「なんでよ?」って反応をしてきたりしている。
子供には子供の感覚ってのがあって、それを説明できるだけの表現能力がまだ備わっていないから、それを親に伝えることが出来ないってのは想像つくんだけれども、それでも「なんでよ?」って感覚があるのが俺にとっての現実なわけだよ。
今回はこの親子のコミュニケーションってやつについて考えてみる回だ。
ちっと俺の思考散策に付き合ってくれよな。
親の押しつけってやつを考える
今回、このことを考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだよね。
それがこのnoteだ。
のりくそんさんは3児の父として日々奮闘なさっているnote作家さんだ。
ワリカシ裕福な子供時代を過ごしていたにも関わらず子供時代に感じていた不満についてこのnoteで振り返ってくれている。
いわく、その家庭における理不尽ルールってやつが子供時代ののりくそんさんに不満を与えたってことのようだ。
まあ、理不尽ルールって言っても「チャンネル権は父親」だとか「母親は謝らない」とかどこに家にでもありそうなルールだ。
俺の子供時代はどうだったのか?って考えると、たしかにテレビが一番見やすい席は父親のものだったし、いわゆる教育ママの母親の言うことは絶対だったような気がするけれど、そこに不満を持っていたかっていうと、いささかグレーだ。
まあ、子供なりに自由にならないことに対する不満は当然あったけれど、そう言うヒエラルキーそのものを受け入れていたような気もする。
その足かせのようなルールが家族全体を守るものだったって気も今ならするしね。
でも、その事を子供の頃に感じていたかって言うと、そんなことはなくて、多分「不満だけれどもしょうがない」って受け入れ方をしていたんだと思う。
子供にとって親の定めたルールってのはそれほどまでに「どうしようもない」ほどの強制力を持っているってことなんだよな。
今現在の我が家のルールを振り返る
じゃあ、今現在の我が家はどんなルールがあるんだろう?
改めて明文化しているわけじゃないので、そのルールってやつを掘り起こすためには、今の生活そのものを振り返る必要がありそうだよね。
まずテレビ。
チャンネル権というかモニタ使用権というのかはほぼ父親である俺にはない。
ほぼこの辺の権利は息子に掌握されてしまっている。
うむむ、なんたる父権の無さよ。
まあ、見ているものはhuluにamazon primeにYou Tubeというオンデマンドのものばかりでテレビはほとんど見ていないんだけれどね。
あと、朝食の準備は母親がして、食卓の準備は息子と父親が分担してやるってのもルールかなぁ。
まあ、最近は在宅勤務で体を動かさないから朝食はどんどん質素になっていって、コーヒーとヨーグルトだけなんだけれどね。
※息子はプラストースト
あとはなんだろうなぁ?
あ、暗黙のルールで親が息子にキチンと話をする時はテレビを切るってのがあるかな。
この辺は「そうしなさい」って言ってるってよりは、息子が秩序維持のために自分からやっているような気もするなぁ。
息子とのコミュニケーションを振り返る
こうして振り返ると、俺が積極的に決めたルールってのがほとんど無いな。
そりゃ、父権もへったくれも無いよな。
加えて、息子とのコミュニケーションを振り返ってみると、ちょっと気になることもある。
息子は俺との会話をするときに、結構な頻度で「そう言う質問嫌だ」って言うんだよな。
なんで嫌なんだっけ?って聞くと、多分だけれども「正解」の無い問いかけがすごく嫌らしい。
あ、そうか。多分、俺が息子と話すときに子供扱いしないようにしなきゃって思って話すことが多いからなのかもしれないな。
大人同士の会話って「正解」なんてない前提のものばっかじゃんか。
まあ、それを小学3年生にしたら、そりゃ困るってもんなのかもしれないな。
かと言って、この手の会話が成立しないことには大人になって困るとおもうから、チットばかり嫌われてしまうかもしれないけれど、続けていくしか無いんだろうなぁ。
なあ、あんたはどう思う?
親子のコミュニケーション、どうしていけば子どもたちの幸せにつながるんだろうな?
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