年末という締切
クリスマスが近づいてきている。
というか年末が近づいてきている。
なんだろう?この毎年来る締め切り感。
プロジェクト型の仕事をしていると、そのプロジェクトごとの締め切りってやつがあるわけだけれども、そのプロジェクトの状況に関わらず、なぜかこのキーワードがやってくる。
「そいつは今年中にやっておかないと」
思わず言っちまうこのキーワード。
毎月来る月末はあるのに、「そいつは今月中にやっておかないと」と言うタイミングとは段違いの存在感を放つ「今年中」。
今回は、この「今年中」ってキーワードについてあーだこーだ考えてみる回だ。
まあ、とりあえず今年中にこのことにケリを付けておこうか。
俺たちの生活は締め切りにあふれている
俺たちの生活が色んな仕事に関わっている以上、どうしたって締切ってやつはある。
各々の仕事が期日までに仕上がる前提で物事は進んでいる。
なので、誰かがしくって仕事が期日までに出来上がらないと、それを期待しているすべての仕事が滞るってことになる。
場合によっては損害賠償なんてことになりかねない。
締切ってやつはそんなおっかないもんだ。
でも仕事をやる上で締め切りのない仕事ってやつはほとんど無い。
締め切りについては、仕事だけでも無い。
いついつまでに届け出をしなければ○○が受けられないだとか、なにそれの書類をいついつまでに提出しろだとか、プライベートでも締め切りはいっぱいだ。
それほど俺たちは時間との勝負を毎日のように繰り広げているわけだ。
まあ、息が詰まる事この上ないよな。
仕事とは直接関係ない『年末』
そんな様々な締切と戦い続けている俺たちなわけだが、その締切とは別の意味で俺たちを追い詰めているもの。そいつが「年末」だ。
なぜか知らないけれど、仕事の締め切りとは別にこの「年末」ってやつは俺たちを追い詰めてくる。
別に2月末までにあればいい仕事の結果でも、とりあえず今年中に目鼻立ちを確定しておかなきゃとか、よくわからないマイルストーンをこの年末ってやつに押し付ける傾向があんたのところにもないかい?
よく考えたら「年内」におさめておく必要性のないことも、「年末」というキーワードとともになんとなくそこまでにやっとかないとマズイ感が漂ってくる。
なんなんだろうな?「年末」って。
今の太陽暦が日本に導入されたのが1873年ってことらしいからザックリ150年しか経っていないわけだが、12月31日の特別感ってやつは、もはや日本古来の伝統行事の様に感じられるよな。
年の始まりという虚構がもたらしてくれるもの
結局の所、1年が365.25日だってのは物理的な事実なわけだけれども、年の終わりが12月31日ってのはヒトが勝手に作ったものだ。
つまりは年の始まりと終わりってやつはヒトの作り上げた虚構ってわけだ。
虚構はサピエンス全史風に言うならば、ヒトが一致協力して大きな力を作り上げるために利用されるモノってなる。
ならば、俺たちヒトは「年末」という虚構によって何を得ているのか?
言い換えれば俺たちはこの「年末」に対するプレッシャーの先に何を手に入れているのか?
ぶっちゃけ、なんかあるか?
会社の業績やらなんやらは、年末ではなくて年度末によって評価されるものだし、年齢は誕生日によって定まるものだから別に大晦日を意識するものでもない。
年末年始の休みがあるから、そこまでに形にしておきたいってのは気持ちとしてはわかるが、仕事はもっと俯瞰的に何がいつまでにできていなければならないかを考える必要があるわけで、そこには必ずしも「年末」を絡める必要は無いんだよな。
そう考えると、師走のこの毎年の焦燥感ってやつは、俺たちが俺たち自身を追い詰めているだけなのか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは「年末」から開放されてしまっていいものかね?
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