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[小説][バラッド]-序章-⑩

歌えないオッサンのバラッド
-序章-⑩


奥の席にいるタカの表情が変わった。

「動いたか?」
「ああ、でも『驚き』ってよりは『心配』に近い感じだな」

こいつばかりはタカの経験値にしか表現出来ない感覚だから仕方がない。

「何が心配なんだろうな。見た所生活に困っている感じじゃない」
「じゃあ、仕事のトラブルか何かってところか」
「まあ、ここで俺たちがノコノコ顔を出すのは得策じゃない、
『俺達も混ぜてくれよ』とか言って、リサ対トールとタイゾーの構造を作り上げちまうのはまずいからなぁ」
「待つしかねぇか……」

辞めると言う選択

「タイゾーはこの話を聞いていたのかい?」
あえてカマをかけてみる。
正直、俺のこの予想は五分五分だ。
ただ、トールの表情の変化から8割間違いないとは思う。
ダメ押しが欲しかったんだ。

「今から半年ほど前、今のプロジェクトが始まって数ヶ月が立った頃だったかな」
タイゾーが俺が望む答えを口にする。

その横でショックを隠そうともしないリサがいた。
「か、風間さん……どうして……」
「リサちゃん、名前、名前」
あ、と手を口に持っていくリサ。

「理由は自分の問題だ、の一点張りで教えちゃくれなかったけれどね。
兎にも角にも今のプロジェクトは社運がかかっている。
会社からは慰留を申し込まれているって話までは聞いてる」

タイゾーが苦虫を噛み潰したように言葉を絞り出した。

「トールさん。何か他にやりたいことが出来たんですか?」
リサが心配そうな顔でトールを覗き込む。
もう、自分の能力不足がどうとか言っている場合じゃない。

明らかに人生の選択をしようとしている人が目の前にいる。
しかも心から尊敬できる先輩がだ。

そして、その先輩トールは言った。

「いや、やりたいことではないな。
やらなければならないことっていう方が近い」

トールはもう肚を決めたようだ。
「父親がね。もう長くないらしいんだ」

その場の空気が凍りついた。

交錯する思い

「ちょうど1年前くらいだったかな。父親の余命宣告を受けたのは」
トールが淡々と話し始める。

「もともと俺の家系ではがんになることが多い家系でね、父親もその例外ではなかった。最初にがんが見つかったのは肺だった。
抗がん剤治療や手術の繰り返しをする日々だった」

「そんなことを黙って俺たちと仕事をしていたってのか。トール」
痛む足のことなど、もう意識の外にあるらしい。
氷のうをはねのけてタイゾーはトールの脇に仁王立ちになっている。

そんなタイゾーを横目に、トールはリサに声をかけた。

「余命宣告の意味って知っているか?リサ」
黙ったまま首を横にふるリサ。

きっと、今話しをし始めちまうと涙声になっちまうからだろう。

「親父の場合は余命一年と言われた。一瞬、俺は後一年以内に親孝行しないといけないって思った」

天井を眺めながら続ける。

「でも違ったんだ。余命一年ってのは、あくまで中央値がそうだっていうだけで、3割は半年以内に命を落としてしまうんだ」

俺の両親は大学卒業間近のときに、あっさりと交通事故で帰らぬ人になってしまった。
だから俺の両親は俺が結婚したことも、妻と死別したことも子どもが育ってまさに大学を卒業しようとしている事も知らない。

圧倒的な悲しみだったのは覚えている。
でも人間ってのはその感情を覚え続ける事が出来ないようになっている。

どんな感情も記憶のタンスの奥に追いやられてしまうってわけだ。

ただ、家族の余命宣告となるとちっとばかり事情が変わってくる。

毎日「今日家族が死ぬかも知れない」と目覚めたときから感じ続けて生活を続けることになる。

「余命宣告を受けてから、出来るだけ顔を出せるように終末医療センターの近くに引っ越した。
こういうときは独り身は楽なもんだよな」

自嘲気味に歪んだ笑みを浮かべながら続けるトール。

「余命宣告を受けて2ヶ月後。会社からプロジェクトの打診があった。
もちろん俺は断ったさ。
でも会社務めの辛いところで、辞令には逆らえない。
その日のうちに辞表を書いて部長に渡したよ。
それでも部長は慰留してきた。
社運がどうとか言ってた気がする」

リサはもう、人目もはばからずに涙をこぼしていた。
最初に「葵」に来たときの涙とは違う涙。
純粋に仲間を今も苦しめ続けているという事実がリサの涙を心の奥底から絞り出しているように見えた。

「このままでは、らちが明かないと思った俺は条件を出した。
半年で俺の後継を育てます。
そしたら辞めさせてもらいます。
それでいいですね?
って部長に言ってやった」

「で、その後継ってのが俺ってわけか」
タイゾーが言う。

「ああ、そして役員連中にプレゼンする明日の資料がお前の卒業式ってわけだ。
その後の役員会で方針が決まれば、俺は退職、後任はタイゾーお前だってことで根回しはしてある」

タイゾーは肩を震わせている。
「どこまで行ってもあんたの手のひらの上ってわけか……」
「だとしたら、俺はさしずめお釈迦様の手のひらの上を飛び回って遊んでいた孫悟空ってわけかもな」

どっかとソファーに腰を下ろすタイゾー。

「おい、オジサン」
「なんだ?」
「もう一杯奢ってくれ」

つづく


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