息子が犬を飼いたいと言ったこと
あんたの家でも色んな課題が降ってくる日常を過ごしているかい?
俺のうちに今回降ってきた課題は息子の犬を飼いたい欲求がついに始まったってことだ。
息子の場合は動画を始めとするコンテンツ鑑賞に欲求が向かっていたので、今までは生き物を飼いたいって欲求はあまり表には出てこなかったんだよね。
ところが、何キッカケなのかは分からないけれども、犬を飼いたいって言い出したわけだ。
今回は生き物を飼うってことについての俺の感覚を整理してみる回だ。
まあ、今の御時世での愛玩動物ってやつについて考えてみようぜ。
犬を飼いたいと言われて俺が言ったこと
まず、俺が息子に犬を飼いたいと言われて返した答えは「NO」だった。
理由は色々あるけれど、一番大きいのが「自分には言葉が通じない生き物を幸せにすることが出来ない」という感覚があるからだ。
細かな経緯は覚えていないんだけれど、俺もガキンチョの頃に犬を飼わせてもらっていた。
最初こそ、マメに散歩に連れて行ったりしてかわいがっていたけれど、それもだんだん粗雑になっていった。
まあ、ガキンチョあるあるだと思う。
オッサンになった今、そのことを考えると胸が締め付けられる様に感じることがたまにある。
俺は飼っていた犬の命を文字通りないがしろにして、無駄に命を費やさせてしまったって思うからなんだ。
タイムマシンかなんかがあって、その当時の俺に俺が語りかけることが出来たとしても、多分俺は行動を改めることは出来なかったんじゃないかって思う。
俺は「ただ可愛がる」って行為が出来ないってのが現実の様な気がする。
なんつーんだ?気遣いの双方向性を求めちゃうので、対象からの気遣いを感じられなくなった瞬間に対象への興味が薄れてしまう感じ。
いや、メッチャワガママなこと言っているのはそう思うんだけどさ。
息子に言った言葉
で、そう言う価値観が俺の中にあるので、息子にはこう言った。
犬を飼うとなれば、息子だけで面倒を見るってわけには行かない。
家族になるわけだからね。
でも、お父さんは犬のことを幸せにする事ができる自信がない。
子どもの頃に犬を飼っていたけれど、お父さんはその犬を不幸にしてしまった。
だからお父さんには犬を飼う資格がないんだと思う。
いや、自分だけ失敗体験を積ませてもらって、息子にそれは無いだろってあんたが言うのはわかるよ。
でもマジで怖いんだよ。
自分の手元で命が無駄になっていくってことが。
ポイントは「自分の手元」ってことなんだとも思う。
俺がどうするかなんてことは関係なく、今この瞬間にも多くの命が「殺処分」されているってことも知っている。
子犬の時期に売れ残ってしまった犬たちが悲惨な目にあっているってのも知っている。
そのことを考えると、全身が総毛立つような嫌悪感に見舞われるけれども、現実としてその行為は行われる。
経済の一部としてペットショップが存在している以上はその行為は必然なわけだし、俺たちのニーズがあるからこそペットショップは存在している。
俺たちはそうやって罪を自分でない誰かに押し付けているってわけだ。
命の意味を子どもたちに伝える
息子が犬を飼いたいと言ったときに「命の無駄使い」を話したときに、息子は悲しそうだった。
おそらくは犬が飼えないってことにがっかりしたせいだろう。
そして、その理由が自分の努力だとか決意だとかいうものの範疇外だったってことも彼を悲しませていると思う。
全ては親である俺の「罪の意識」って言う息子がコントロールすることが出来ない、かつ得体のしれない何かなわけだしね。
いつの日か、俺のその言葉を息子が自分なりに解釈して自分の意見を形作るときに、きっと俺は恨まれるんだろう。
大人になった息子からグチグチと言われる日がくることを想像して、それに耐える覚悟は決めとかないといけないな。
そのときに改めて「罪の意識」ってやつについて息子と語り合ったとしたら、その時の息子はなんて言うんだろう?
なあ、あんたならどうする?
息子が自分の理屈で「罪」を語ったときに、俺たちはどうやってその理屈を受け止めれば良いんだろうな?
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