不安をわかること
自分が何かを始めるって、あんたは想像したことがあるかい?
俺自身は、システムエンジニアを続けている中で、挫折を感じてやめちまおうって考えたことも普通にある。
こんなことはあんたがどんな仕事をやっていたとしても、普通にあることだよな。
それでも、俺たちは俺たちの日常を継続している。
それが真綿で首を絞めるように俺たちの人生を緩やかに殺しているって感じていたとしてもね。
でも、ちっと待てよ。俺たちのそのたまらないほどの閉塞感。
それってなんか確からしい理由ってやつがあるんだろうか?
今回は、俺たちが日常で感じている不安感ってやつについて考えてみる回だ。
あんたの不安。
本当かい?
不安っていう状態は何なのか?
不安って状態。俺たちは本当によく不安ってやつを感じていると思うんだけれど、あんたはどうだい?
毎月の給料はギリギリアウトな感じだし、プロジェクトはうまくいくかどうか先行き不透明だし、家族はみんな何かしら困りごとを抱え続けている。
そんな風に不安ってやつは、とめどなく溢れてくるものだよな。
ときに不安ってやつは、そういう具体的な困りごとを伴っていないことすらある。
今はなんとかなっているけれど、いつかはなんか困るかもしれないって感じてしまうあれだ。
不確定性原理の前提がある以上は、俺たちの未来に約束されたものなんてない。
俺たちは、常に見えない未来に向かって歩み続けている。
それを「不安」ととることは、ものすごく自然なことなのかもしれないな。
俺たちの不安を書き出してみるってこと
そういう、漠然とした不安に悩ませられることってのは、えらく辛いものだよな。
何しろ何が原因なのか、不安に思っている本人がわからないんだから。
原因がわからない以上は、俺たちは対策を練ることが出来ない。対策を練ることが出来ていないって現実はさらなる不安を俺たちに導いてくる。
そうなってくると俺たちは不安の負のスパイラルにどっぷりと浸かってしまうよな。
その前に、俺たちにはできることがある。
何が不安なのかをなにかに書くってことだ。
紙にメモ書きするのでもいいし、Twitterで発信するのでもいい。ブログに書くのでもいいし、なんなら、おんなじ悩みを持っているヤツを探すためにググるのでもいい。
あんたの悩みを形にするってことだ。
何のために悩みを形にするのかって?そんなことしたら、余計不安になるんじゃないかって?
まあ、待てよ。
あんたが困っていることは、何かわからないものに漠然と不安を感じているってことだろう?
漠然とした不安ってやつは、それこそ影のようなものだ。
そこにあるとはわかっているけれど、その実態が何なのか全くわからないってやつだ。
正体がわからない敵と戦うのは実際問題キビシイよな?
でも、その不安の正体が形になったとしたらどうだい?
その敵にどうしたら勝つことができるのか、頭のいいあんたなら作戦ってやつを立てることだってできるよな?
なあ、わかるだろ?
俺たちは敵が何者かがわかりさえすれば、その敵と戦う準備をすることができるってことだ。
その準備をできる状態にするためにも、俺たちは俺たちの中にある「不安」ってやつを書き出してみる必要がある。
俺たちが戦いを挑もうとしているものがどこかの軍隊なのか、そのへんのただの石ころなのかを見極めるってことだ。
書き出した不安に解決策をつけてみる
不安が形になったのなら、もう勝ったも同然だ。
何故って?
俺たちは幸せになる達人だからだ。
なんでそんなことを言えるのかって?
そりゃあ、俺もあんたもこのnoteにたどり着くことが出来ている時点で普通の生活を勝ち抜いてきているってことだからだ。
俺たちの生活は俺たちが思っている以上に多くのハードルがある。
中には俺たちの生活の根っこを揺るがしかねないハードルもあったはずだ。
それでも俺たちは今、生きている。
それで、あんたはこのnoteを読んでくれている。
それは、あんたの解決能力を証明することだと思うんだよな。
つまり、あんたはあんたの問題が何かをわかりさえすれば、その問題を解く能力をすでに持っているってことだ。
さあ、やってみようぜ?
俺たちは俺たちの持つ問題を見つけさえすればすぐにでもなんとかできる。
あんたはどうだい?
あんたの問題、あんたが見える形にできそうかい?
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