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今の時代の勇者

あんたには誰とも共有したいと思わない部分ってやつがあるかい?

こう問いかけられたらストレートに「これだね」って言葉に出来るやつって相当言葉と向き合っているヒトだと思うんだよね。

多分誰にでもあるそう言う「コア」な部分。
エヴァンゲリオン風にいうならATフィールドの内側。
ハリネズミの本体って言ったところか。

今回はそう言う自分のコアってものを探ってみようって回だ。

ちっとオッサンの自分探しに付き合ってくれよな。
あんたは優しいからキモいとか言わないだろう?

孤独の必要性

今回自分のコアについて考えてみようってきっかけをくれたnoteがあるんだ。

みのりさんは普段からコミュニケーションについて深々と考えていらっしゃる御仁で今回も興味深い表現をしてくれているんだ。

孤独、という言葉でイメージするものは何か。誰も居ない砂漠のような乾き切った場所。深くくらい海の中。夜の神社の境内。動物や虫の声がうるさいほどの熱帯雨林の中でのキャンプ。それともパーティーで、貼り付けた笑顔で笑っている時? それは、愛すべきもの? 敬遠すべきもの? 私は少なからず愛すべきもので必要なものだと思っていて、そこには凛とした美しさと誰にも汚されない尊厳があると思っている。絶対に守り抜くべきサンクチュアリみたいなもので、自分の声が唯一聞こえる領域。決して「寂しさ」と混同してはいけないもの。
出典:上記note

なんか表現がキレイで要約するのもはばかられたので長々と引用させてもらったけれども、こう言う感覚って誰にでもあるんじゃないかとも思うんだ。

ヒトは外部の情報を処理し続けることで世界の中のノードとして振る舞い社会構造の一部となる生き物だ。
そうである以上は自分の中に外部情報に影響されない部分なんてものは存在しないのかもしれない。

でも、それでもだ。

自分の中に誰にも介入されたくない部分ってのはある。

うまく言葉にできないが、ブルースを聞いているときの琥珀色の心の色だったり、山奥で物音一つしない闇の世界で見上げた星空を見た瞬間の何かとつながっているような感覚だったり、ウィザードリィでTILTWAITを唱える瞬間の物悲しい感情だったり。

きっと俺の経験が一つの心象風景を作り上げているものだと思うんだけれども、それらを「壊されたくない」という思いは確実にある。

これらを守るために必要なもの。

それが「孤独」というわけだ。

大切なヒトの「孤独」

この「孤独」はあんたにもあんたの大切なヒトにもあるんだと思う。

お互いにそれを大切にしていきたいけれども、そこに一つ問題が出てくる。

あんたの大切なヒトはその「孤独」に触れてほしいとは思っていないかもしれないってことだ。

ただでさえ「孤独」の輪郭は見えにくい。
自分自身のそれですらその輪郭を明確に表現することは難しい。
ましてや自分以外のヒトの輪郭を捉えるなんてのは無理ゲーそのものだ。

なので、気がついたらあんたはあんたの大切なヒトの「孤独」の領域に土足で踏み込むようなことをしてしまうかもしれない。

正にハリネズミのジレンマだ。

大切なヒトとともにあろうとすることで自らのハリが相手を傷つけてしまう。

臆病なオッサンが取る方法

それが故にオッサンは臆病になる。

自分のハリが誰かを傷つけることと、誰かのハリが自分を傷つけることを。

その結果何が起きるか?

本当に必要最低限のコミュニケーションしか取らなくなる。

これは俺の感覚に過ぎないんだけれども、在宅勤務がメインになってからこっち、その傾向はスゴイ顕著になってきている気がするんだ。

逆にこの状況の中でも積極的にコミュニケーションを職場の仲間と取り続けているヒトはどんどん偉くなっている。
それが必要なことだってわかっているから、傷つこうと傷つけようと前に進むヒトたちだ。

そう言うヒトのことを俺たちはなんて呼ぶ?

そう「勇者」だ。

今の世の中だからこそお互いの「孤独」を大切にして、それでも自分の「孤独」を傷つけられることを恐れずに進む勇気。

なあ、あんたはどうだい?

俺たちはその勇気をどうやって育んで行けば良いんだろうな?

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