満足行く人生
あんたにも節目の日ってのがあるかい?
俺の場合、今日でどうやら半世紀生きたことになるらしい。
いやぁ、十分に生きたって言える年齢になっちまったな。
人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしの如くなり。
これでいつ死んでもおかしくないターンになったわけだ。
残りの人生がどれだけあるかわからないけれど、最期には「全く良い人生だった!」と声高らかにワンピースのDr.ヒルククの様に人生を終えたいもんだ。
今回は満足行く人生ってやつがどんなもんかを考えてみる回だ。
まあ、オッサンの戯言に付き合ってくれよ。
楽しいことに邁進する人生
シンプルに考えると、自分がどんだけ満足するのかってのは、自分がどんだけ楽しい思いをしたかってことのはずだよな。
趣味に没頭したり、仕事に没頭したり、家族のケアに没頭したり。
この没頭できることってのが多くのヒトにとっての楽しいことってやつなんじゃないかと思ったりする。
没頭しているって状態って、言葉を変えれば時間を忘れている状態ってやつなんだよな。
時間。つまり自分の命を忘れている状態ってことなんだ。
そう考えると皮肉なもんだよな。
命を削って命を忘れているんだもんよ。
確かに命を忘れるほどの没頭した状態ってのは俺たちを幸せな状態にするとは思う。
でもさ。
それって満足行く人生なのかね?
幸せだけで出来た人生
そもそも、ずっと幸せな状態にヒトはなれるのか?
否。
ヒトの仕組み的にそいつは不可能だと思う。
なぜならヒトは世界を「前との差」で認識するからだ。
例えばあんたが一生かかっても使い切れないほどの富を持っているとする。
その富を使えばどんな豪勢な料理だって食べられるし、どんな素敵な場所への旅行だって出来る。
考えつく限りの贅沢三昧な生活を送ることが出来る。
でも俺もあんたも、その生活にいつか慣れる。
そうすると、その生活が当たり前になってしまって、徐々に幸福度は下がっていく。
俺たちは「いつもとは違う何か」ってやつに幸せや不幸を感じているってわけだ。
変化を求めない感覚
ところがだ。
俺たちはこの変化ってやつを実に嫌っている。
俺の例で言えば、今の住居から追い出されるのは嫌だし、家族が散り散りになったりしたら泣いちゃう。
仕事だっていろんな不満はあるかもしれないけれど、積極的に変えたいと思わないし、今までの趣味だって多分変えたくない。
なぜか?
変化ってのが幸福も不幸も持ってくるからだと思うんだよ。
例えば何らかの変化がもたらすものが50%幸福になって、50%不幸になるとする。
そしたら、間違いなく俺は50%の不幸に対して「失敗した!」って思い続けると思うんだよね。
ヒトが生き物である以上、「楽」と「苦」の2つが経験されたときに「苦」の経験を記憶するようになっているってのは実に自然だ。
だって生き延びるってのが生き物の本質的な仕組みだからね。
生き延びるためには「苦」をどうやって避けるかって方が「楽」をどうやって得るかより重要だってのは何となく思うじゃんか。
満足行く人生
結局、幸せな感覚は持続しないし、記憶には変化に伴う「苦」だけが刻み込まれ続ける。
この前提でどうすれば俺たちは満足出来るんだろう?
やっぱ、目標だよな。
自分がどれだけ目標に向かって走り続けていられたかってことを最期の時に確信することが出来ていたら、そいつこそが満足ってことなんだろう。
おそらく、その目標を達成しているかどうかってのは問題じゃない。
なぜなら、目標を達成したら次の目標が生じるもんだからね。
その意味では俺たちは死ぬまで無数のゴールテープを切り続けるってわけだ。
ぶっちゃけ、その目標ってのは何でも良いんだと思う。
マインクラフトで街を作り上げるでも良いし、家族を一日1回笑わせるでも良い。
仕事でプロジェクトを成功に導くでも良いし、1日8,000歩は歩くでも良い。
もっとでっかい目標でも良い。
消費税を廃止するとか言う夢物語を本気でやっている政治家の姿も見てるだろ?
彼ら彼女らはきっと今日も満足に向かって歩んでいるってわけだ。
なあ、あんたはどうだい?
あんたにとっての満足行く人生ってのはどこにありそうだい?
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