命の重さと俺たちの言葉
あんたもセクシー田中さん絡みでのいろんなヒトの発信を見ているかい?
海猿やブラックジャックによろしくで有名な佐藤秀峰さんがこんな記事を挙げてくれていた。
タイトルのインパクトはあるけれど、最も俺の心をえぐったのは最後に書いてもらっている普通のヒトという表現だったんだ。
そうなんだよな。
繊細だから自らの命を絶ってしまったんじゃない。
だれでも自分の命ってものを失くしてしまいたいって衝動を持っているってことだよな。
今回はヒトが生きていくってことについて考えてみる回だ。
どうすれば生きていて良いって思えるか考えてみようぜ。
ヒトの命がなくなるということ
まずもってだ。
前も書いたけれど、芦原妃名子さんがお亡くなりになってしまったことは多くのヒトに衝撃を与えていたと思うんだ。
シンプルにヒトの命が自らの意志によって失われていくってことについて、ものすごい悲しみを感じるし、その悲しみの原因ってのを考え始めるってのは自然なことだと思う。
たとえ、そのヒトが原作者とかわかりやすい立場でなかったとしてもだ。
あんたも、日ごろ見ているnoteの執筆をしているヒトとかブログの執筆をしているヒトとか動画を作ってくれているヒトとかが自らの命を放棄してしまったなんて聞いたらショックを感じるだろ?
たとえ、自分と意見が異なるヒトであっても、自ら命を投げ出すという行為をしてしまったって聞いたら、ショックを受けると思うんだ。
「なんで?」と思った後に「俺も攻撃していたんじゃないか?」って思い始める。
発信をしている以上は誰かの意見と対立するような意見を書くこともあるもんな。
普通のヒトがどこにいるのか
でね。
佐藤さんが言うところの「普通のヒト」ってのがどこにいるのか。
当たり前だけれども、普通のヒトってのはどこにでもいるわけだ。
そらそうだろ?
だって、俺を含めて実に多くの普通のヒトってのがいるってのは実感できるじゃんか。
で、佐藤さんの言葉を振り返ってみる。
そう。悩んだんだと思うんだ。
芦原妃名子さんも、相沢友子さんも悩んだと思うんだ。
すべての作品に関わったヒトも何らかの悩みを抱えていると思うんだ。
なんなら、俺たちは全員がなんかの悩みを抱えながら生きていると思うんだ。
その悩みをさ。
どうしていったらいいんだろう?
ヒトの悩み
学生さんだったら、将来の悩み。
会社員なら、仕事の悩み。
もしかしたら、介護だとかご近所付き合いで悩んでいることもあると思う。
ぶっちゃけ、ヒトの悩みなんて無限のパターンがあるわけじゃんか。
で、俺たちはそんな無限のパターンの悩みを想像することなんてデキッコナイスなんだよな。
そうなんだよ。
俺たちの想像力は有限なのに、その想像力によって生み出される悩みは無限に広がっていくわけだ。
なんだその理不尽。
そんな無限の悩みの一つに囚われてしまった芦原妃名子さん。
そして、その痛ましい結末に対して犯人を捜そうとして相沢友子さんを責め立てる発信。
思わずこんなセリフを思い出すわけだ。
なるわけないんだよ。
誰かを悪者にして得られる平和ってのは、常に誰かを悪者にし続けることでしか維持できないんだ。
考えるべきは芦原妃名子さんの話を聞いてあげれるヒトがいたとして、そのヒトがどんなふうに話を聞けばこの悲劇は防げたんだろうってことだろ?
そして、相沢友子さんを同じような悲劇に向かわせないために周りのヒトはどんなことが出来るのかってことだろ?
ホント思うんだ。
誰かの過ちを非難するときに、その過ちがどうすれば防げたのかってのを大人の俺たちは考えていかないといけないんじゃないか?ってさ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうにかしてどこかの誰かの悲劇を救うことが出来ると思うかい?
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