日本人と認識されるってこと
あんたも色んな諸外国のヒトが日本やらアジアやらについて語ってくれているようなコンテンツを見ることがあるかい?
本当に当たり前なんだけれども、欧米諸国の皆さんからするとアジアの各国のヒトを見分けるのって至難の業なんだと思うんだ。
だって、俺たち日本人だって、日本語を流暢に使いこなすような韓国や中国の方がいたら、日本人と見分けなんてつくわけないって思うもんな。
それでも、日本人を見分ける方法を色々と探っているヒトは一定数いるらしい。
今回はそんな日本人の見分け方についてよく聞く方法について眺めてみる回だ。
まあ、あれだ。
俺たち日本人がどう見られているかについて一緒に眺めてみようぜ。
日本人の見た目
まず日本人の見た目から調べてみる。
どうも日本人は「小さな顔」「平坦な顔」「薄い体毛」という特徴で捉えられているらしい。
あれ?俺の顔小さくないぞ。まずい。日本人じゃないって思われることあんのか?
確かになんかの動画で阿部寛さんが高確率で日本人じゃないって判定されていたんだよな。
小さくない顔、堀の深い顔、なかなかな剛毛っぷり。
まあ、阿部寛さんが例外ってこともあるかもな。
いわゆる芸能人で韓国、中国、日本での見分けをつけるのって、結構難儀だよな。
ぶっちゃけオッサンとしてはBTSとSnowmanの見分けがつかないもんよ。
知り合いの韓国の方や中国の方を思い出しても、日本語を普通に使っているヒトはほぼ見分けがつかない。
やっぱ見た目でアジア諸国のヒトを見分けるのって超高難度なんだな。
振る舞いでの日本人の見分け方
じゃあ、振る舞いで日本人ってのはどう認識されているのか?
有名な沈没船ジョークってやつがある。
沈没しかかっている船から乗客を海に逃がすためにどうやれば海に飛び込んでもらえるのかってのを国別にまとめたやつだ。
アメリカン人には「飛び込めばヒーローになれますよ」っていうと飛び込むらしい。素晴らしい。
どこかの誰かの未来のために飛び込むって言う名誉を重んじるってことだもんな。
で、日本人には「みんな飛び込んでますよ」って言うのが良いらしい。
たしかにそうだよな。和の国だもんよ。
主体性がないって捉え方もできるとは思うけれどね。
ちょっと意外って思ったのが韓国。
「日本人は飛び込みましたよ」らしい。
国の成り立ちやら韓国の憲法やらに照らし合わせると、どうしても日本って存在が判断の根っこに存在し続けているって思われているってことなのかもね。
ちなみに中国は「美味しい魚が泳いでいますよ」だそうだ。
すげぇな。
食に対する飽くなき挑戦をする国民性って認識されているわけだ。
ただ、なんとなくのイメージだけれど、ここで言う中国は漢民族のことを指しているんだろうなぁ。
新疆ウイグル自治区とかは全く民族が違うから、考え方もだいぶ違う気がするしね。
そして、同じ日本人の中でも関西人だけは別格らしい。
関西人を海に飛び込ませるための言葉。
「阪神が優勝しましたよ」だって。
いや、道頓堀扱い。
関西人の存在感ってすげぇな。
ってか、阪神の求心力すげぇな。
自分を日本人足らしめているもの
そう考えてみると、ネットでのやり取りの様に顔を始めとする見た目ってのが共有されないところでの個性をどう認識してもらうのかって、結構難しい話かもしれない。
ぶっちゃけ、このnoteを読んでくれているあんたは俺が日本語を使っているから日本人だって思ってると思うんだよ。
でも近い将来、俺たちがやっている発信がかなりの正確さで各国語に翻訳されるって状況は出来上がるじゃんか。
ってか、今でこそ意識して翻訳機能を使って各国語のコンテンツを見ているけれども、それすらも意識しない世界になるはずじゃんか。
そのときに「日本人である」ってアイデンティティってどうやって認識されるんだろう?
もちろん動画のような見た目を伝えるコンテンツも広がっていくだろうけれど、文字だけの発信ってのは無くなることはないと思うじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは「俺たちである」ことの本質をつかめているんだろうか?
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