食べ物と言う価値
あんたにも大切な家族っているかい?
いつも読ませてもらっている久保マシンさんのマンガでなにかグランプリを取ったってんで、読ませてもらったんだよ。
詳しくは読んでみてよなんだけれど、ぶっちゃけ、涙が止まらなかった。
それと同時に思ったんだよ。
「ああ、俺はうまいものを食いに行こうって思ってないなぁ」って。
在宅勤務がメインになってから、ホント食のバリエーションが減ってしまった感じがする。
新宿や品川に務めていたときは毎日違う店に昼飯に行ったんだけれどな。
いまじゃ近所のコンビニかスーパーのお惣菜。
下手すりゃふりかけご飯だけでおしまいだ。
このマンガに出てくるお父さんに言わせたら「お前なんのために生きているんだ」って言われるやつだろうな。
今回は食い物について思いを馳せる回だ。
まあ、俺の記憶巡りに付き合ってくれよな。
ガッツリ系の飯
元々、俺はそれほど食が太い方じゃなかったんだけれども、なんつーか貧乏根性でさ、ご飯お変わりし放題みたいな所でよく食べてたんだよ。
いまじゃ、お茶碗いっぱいでお腹いっぱいって感じだけれどね。
品川でいけば「やまや」とかお気に入りだった。
ここのランチさ。
ご飯だけじゃなくって明太子とか高菜も食べ放題なんよ。
もう、無限に食べていられる感じじゃん。
よりガッツリイメージを強調するなら「らーめん公」もスキだった。
一本ラーメンって言うチャーシューがまるごと一本入っているラーメンを仕事仲間が食らってたけれど、流石にあれは食いきれないって感じだったな。
いわゆる二郎系なので、野菜マシマシだのなんだのってオプションはそう言う感じ。
いやぁ、野菜マシマシとかいまじゃ食い切れんだろうなぁ。
もうなくなってしまった店
で、このご時世だ。
めちゃくちゃ通い詰めていたお店ももうなくなってしまったところもある。
昔ね。
巣鴨の隣の千石駅って言う三田線の地下鉄の出口の直ぐ側に千石ラーメンってお店があったのよ。
コテコテの脂ギッシュなラーメンと色んな種類のチャーハンがあるのが特徴の店だったんだけれど、今の流行り病がどうのこうのなるだいぶ前に店を畳んでしまったんだ。
ホント、比喩じゃなく毎日通ってた店なんだ。
しかもいつも頼むメニューが一緒だったんで、そのうち注文しないでも同じものが出してもらえるようになったくらい。
他にも千石駅近辺はラーメン激戦区で、十兵衛ってラーメン屋もあった。
こっちも背脂ぎっちりな博多系だった。
当時はその辺で仕事してただけじゃなくて、住んでもいたんで休みの日とか3食十兵衛でなんて日もあったくらいだ。
いやぁ、昔から食のバリエーションはあんまり求めてなかったってことだな。
ただひたすらにうまい店
お金に糸目をつけないって条件はつくけれど、単純にうまいってのを突き詰めるといろいろあるかもしれないけれど、しゃぶしゃぶの木曽路になるのかな。
ただ、最近は肉の質が落ちてるって話も聞く。
まあ、めったやたらと行ける店じゃないから俺自身が確かめたわけじゃないんだけれどね。
あと、ここも1回こっきりしか行ったとき無いけれど、めちゃくちゃうまかった。
チームで会社から報奨金が出たときがあって、せっかくだから普段絶対行けない所に行こうぜって話になってランチに行ったんだよ。
俺だけだったら絶対アンテナに引っかからない店(めちゃくちゃ高い)だからすげぇ印象に残っているんだよな。
食べるヒトの思い出
まあ、俺がそんな風に食べられる量が少なくなったってのがあるわけだけれども、俺の父親はいわゆる美食家だと思う(偏食だけど)。
でも食道がんをわずらって、食道を摘出して胃を持ち上げてみたいな手術をしてもらったんだ。
当たり前だけれども食事で前までみたいに好きなものを好きなだけ食べるってのは難しくなったんだよな。
理不尽だよな。
俺みたいな食べてりゃよかろ?みたいなやつが普通に食べていて、食べ物の美しさを感じ続けていた親父が食えるものが減るとか。
今でもさ。
思っちまうんだよ。
なんで親父なんだよって。
なんで俺じゃないんだよって。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが与えられている、生きているって状態をどう活かしていこうか?
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