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ウサギとカメから眺める歴史

あんたはウサギとカメの寓話を思い出すこととかあるかい?

いや、ぶっちゃけね?
寓話なんつーものをオッサンになってから思い起こすことってレアだと思うんだよな。

そらそうだろ。桃太郎からオッサンがだよ。何か学び取ろうってのがそもそもおこがましいって話だ。

だがだよ。
ウサギとカメのおとぎ話でも国によって話の展開が違うんだってんだよ。

おおう、マジか。全然知らんかった。
今回は、俺たちの知っているウサギとカメの物語と違う物語を感じてみる回だ。

まあ、違う文化の物語を味わってみようぜ。


アフリカのウサギとカメ

なんか上の記事によるとだよ。
アフリカのカメってのは相当な策士らしい。

日本のウサギとカメってさ、ウサギの油断と怠慢ありきの話じゃんか。

その怠慢に対してたゆまぬ努力を続けたカメが勝利する。

つまり勤勉な姿を褒め称える話ってわけだ。

対してアフリカのウサギとカメはどうも「勝負」ってのに物語のテーマを持って行っているらしい。

カメは走りの実力ではウサギには敵わないということをまず前提として考えるんだよ。

そのため、カメは策を弄する。
一族のカメに声をかけてレースコース上に定間隔で配置させた。

結果としてウサギは抜いても抜いてもカメに追い越されると言う幻を見る羽目に陥る。

ウサギにしてみりゃ、カメの見分けなんてつかないだろうしね。

結果として、ウサギはカメの幻想に踊らされて実力以上の努力をすることでゴールで命を落としてしまう。

そうなんだよ。

アフリカのウサギとカメは「努力の否定の物語」なんだよな。

アフリカという土地で努力が否定された理由

なんでなんだろう?

アフリカって場所だって結構過酷な環境じゃんか。
干ばつもありゃあ、なんなら砂漠化の進行なんてのも起きる。

日本と同じ様に自然災害ってのとヒトがあらがっていかないといけない環境なわけじゃんか。

そこで「努力」が否定される寓話が息づいているのはいったいどういうわけだ?

おそらくだけれども、そこには「大陸である」って理由があるのかもしれない。

意味がわからないって?
そうかもしらんなぁ。

俺が思うに、大陸において最も危険な要素って何かって話だ。

砂漠化のように緩慢に襲い来る脅威よりも、干ばつのように予測できない脅威よりも恐ろしいもの。

ヒトだ。

日本のような島国なら、他国からの侵略ってのはワリカシ方法が限られてくる。
なので、ヒトに対する恐怖感ってのへの対応方法が明確なわけだ。

たてて加えて、日本と言うのが地震に台風に火山に雪崩に豪雨にとヒトがどうすることも出来ない災害のオンパレードな土地柄だ。

ヒトの脅威なんつーものに手をかけている余裕がないんだよな。

対して大陸では自然災害もあるけれど、それよか「隣にいる奴らがいつ攻めてくるんだ?」って方が現実的な問題ってことなんだよな。

なんつっても陸続きだ。

「奴ら」はいつ何時でも歩いて「俺たち」を攻めに来る。

これさ。
ウサギとカメでウサギが命を落とすって結論に象徴されていないか?

敵の脅威を排除するためには敵の命を奪うしか無いって世界観。

将棋とシャンチーとチェス

そう考えた上でだ。
昔からあるテーブルゲームにもなんか考えられる要素があるのか?

テーブルゲームとしての戦争を象徴するものって言えば将棋とチェスじゃんか。

よく知らんかったんだけれども、将棋って中国から渡ってきたものだと思うんだけれども、中国の将棋ってシャンチーって言うルールがちと違うものらしい。

俺の感覚ではチェスと将棋の最大の違いって「取った駒を自軍の戦力として使える」ってところだと思うんだよな。
シャンチーもチェスと同じく取った駒を使えるわけじゃないらしい。

これさ。

要するに将棋は「寝返る」ことが前提となっている世界ってことだろ?

一般的には寝返るってのはネガティブな話じゃんか。
アフリカのウサギとカメでの策略に通じる所を感じるやつだ。

ただ、日本の場合は寝返ることに「建前」が存在する。

天皇陛下だ。

天皇陛下と言う権威に背かない以上は「勝てば官軍」ってわけだ。

浅井長政の裏切りなんて、まさにそう言うこったろ?

なあ、あんたはどう思う?

大陸の殲滅する歴史と裏切りの日本の歴史。
俺たちが歩むのはどっちなんだ?

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