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「夢を形に」した世界

あんたも技術の進歩ってやつに目を見張ることってあるかい?

本の少し前まで、夢物語でしかなかったようなことが技術の発展によって、現実世界に確かに存在しているなんて状況が頻発している。

仕事のフォローをしてくれるAI。
バック・トゥ・ザ・フューチャーのフライングボード。
場所の移動をすることなく様々なヒトたちとリアルタイムに課題を共有できる通信インフラ。

そのどれもが存在することを想像することはあっても、実現するなんてことを本気で考えたヒトはレアだったと思うんだ。

でも、そのレアなヒトたちはその「夢」に向かって爆進して、昔のIT企業のキャッチフレーズよろしく「夢を形に」し続けているってわけだ。

今回は現実に現れ続ける「夢」について考えてみる回だ。

ちっと俺たちはどんな場所に向かうことになるのか想像を働かせてみようぜ。

SFの中でしか存在し得ないと思っていた義手

自分の意志通りに動く義手。

物理的に手を欠損してしまったヒトにとって、これほど夢のある技術も無いと思う。

で、どうやらヒトはこの「夢」を形にすることに成功したみたいだ。

この記事のなかでは義手が使用者の意図に反応して動作している様子が動画で紹介されている。

意思通りに動く義手なんて、俺の印象に残っている一番古いフィクションでいうとスターウォーズのルーク・スカイウォーカーの義手とかかね。

当然ながら動きとしては本物の手のようにはまだまだって感じもあるけれど、マジックハンド越しに何かを扱おうとしているような感覚で使えている様に見える。

よくわからないけれど、義手からもたらされる触覚フィードバックもあるらしい。どうやってんだろう?

義体という技術が生み出すもの

で、この「意図通りに動く」機械の体って言うと、真っ先に攻殻機動隊の「義体」を思い起こすヒトも多くいると思う。

あの作品は、自分の体と言うのが高度にヒトの意識と統合される技術がもたらすものってやつを実に直感的に映像化してくれている名作中の名作だと思うんだよね。

義体と言う究極の人工物によって世界とヒトの意識の境界線が曖昧になるってこと。
これって、言い換えれば「ヒトの価値ってのは何なのか」ってことなんだよな。

このテーマは義体なんていう夢物語のようにしか見えない技術が成立することを待たずして、今現在進行系で俺たちが直面しているテーマでもあると思う。

ホンの数十年前。
情報化社会と言う言葉が世の中に現れ始めた頃。

俺たちにとって「知識を持っている」と言うことは、その保持者の価値を保証するに十分なことだったと思う。

数学の深い知識を持っているヒト。
文学に深い造詣を持っているヒト。

文字通り知識ってのは形のない資産だったと思う。

ところが、インターネットと言う大量の情報を保持するためのインフラが整備され、その大量のデータに対するアクセス方法としてAIが活用されるようになることで、この知識を持っているって「価値」はワリカシ失われつつあるってあんたも感じないかい?

だってそうだろう?
知識を自分の脳の中のシナプスが電気信号をやり取りして引き出すのも、AIを経由して引き出すのも本質的には同じことだもんな。

知識のかわりにヒトに求められる価値

この知識が絶対的な価値ではなくなることで、社会におけるヒエラルキーもだいぶ変わってくる、というか変わってきている気がする。

求められているのは「知っていること」じゃなくて「やっていること」になってきているってあんたも思わないか?

料理のレシピを知っているヒトと料理を作ってくれるヒトなら作ってくれるヒトの方が価値を産んでいる。
コミュニケーション術を体系的に整理するヒトよりも、コミュニケーション術を駆使して何かを実現したヒトの方が価値を産んでいる。

そんな価値観ってのが身近に感じられる様になってきている気がしないか?

言い方を変えれば「夢を行動に結びつけたヒト」ってのが価値を持ってきている気がするんだよね。

まさに「夢を形に」したヒトってわけだ。

なあ、あんたはどうする?

俺たちの中にあるどんな夢をどんな行動に結びつけていこうか?

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