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[歴史]自分たちと地続きになっている悲劇[体験談]

あんたはカンボジアに行ったことがあるかい?

俺は社会人になりたてと言っていいくらいの年代にカンボジアに行ったんだ。
目的地はご多分に漏れずシェムリアップ。
つまりアンコールワットだ。

東南アジアの文化をこの目に焼き付けてやるぜ!くらいの勢いで現地に向かったのを覚えている。

実際、ホテルでは民族音楽みたいな演奏を聞かせてもらったし、食事をしようと入ったレストランでは素晴らしい影絵の演劇を見せてもらった。
※言葉は全くわからないけど

でもね。
印象に残っているのはアンコールワットの遺跡群じゃあないんだ。

確かに「この階段はヒトが登れる角度では作られていません。つまり神々のためのものなのです」ってガイドさんの流暢な日本語での説明は印象的だった。

その説明に伴う遺跡群の圧倒的な存在感も忘れがたいものがある。

でもね。

それよりも俺の記憶に焼き付いて離れないのは、そのガイドさんに従った俺たちに無言で離れずに歩いてきた少女だったんだ。

今回はそんな俺の記憶を振り返る回だ。

ちっと昔話に付き合ってくれよな。


記憶を思い起こさせてくれた記事

今回カンボジアのことを思い出させてくれた記事がなりけんさんの上の記事だ。
カンボジアって国は行くまでは殆ど知らなかったんだけれど、ポル・ポト政権による徹底的な知識階級のヒトを虐殺したってのが起きていて、ほとんど国として経済を回していく力を失っていたんだよね。


ホント、これが世界の一国家で起きてたのってくらい凄惨な圧政が行われていた。
メガネかけてたら「オマイ知識人だな」って死刑にされちゃうような世界。

想像できるか?
自らの率いる国力を落とすことで、平等を実現しようっていう狂気を。

キリング・フィールドにも行った。


サムネイルでは楽しげなところに見えるかもしれないが、ホントに比喩じゃなくポル・ポト政権によって殺されたヒトの頭蓋骨が展示されている。

その悲惨な現実を実感すると言う意味では広島の原爆資料館を凌ぐ何かを感じた。

なくなったヒトの名前が石碑として立っているんだけれど、その圧倒的な名前の量に愕然とする。
この名前一人ひとりに人生があって、それが政治と言う力によって奪われたってことを想像する。

読めない言葉で書かれたその石碑を手で触れて、ただその存在を感じようとした。

もうね。
泣くしかなかったよ。
こんなことが世界で起きていたって現実を想像して、自分にはそれを想像することしか出来なくて、ただ、そこに立ち尽くして涙が流れ落ちた。

ガイドさんの言葉

俺がカンボジアに行ったときにガイドについてくれたヒトは二人。

一人は本当に教科書に出てくる様にアンコールワットの歴史について教えてくれた。
ものすごく日本語が堪能でさ。
聞けばガイドっていうのはその時のカンボジアでは高給取りだってことだった。

国内の教育を完膚なきまでに破壊された状態から、こんなに必死に勉強してガイドをしてくれる彼を見て、努力ってのはこういうことなんだって思い知らされた気がした。

そのガイドさんが俺たちを先導してくれている横を普通に無言で歩いている少女がいた。

栄養状態のせいか分からない。
5歳くらいの女の子に見えた。

その子があまりに不憫でさ。
少しでもお金を渡そうとしたときにガイドさんに言われたんだ。

「そのお金はその子のためにはならない」って。

そのお金はその子のために使われないで親かそうではない誰かに使われる。
そして、その一分のお金を使ってその子は食料を得るだろう。
でも、それは努力によって得られたお金じゃない。
それは身につかない。
今、その子にお金を渡すっていうのは、その子の努力の機会を奪う意味があるって。

壮絶な状況に愕然としながら、そのガイドさんが文字通り血の滲むような努力によってガイドと言う仕事をしているとも感じた。

俺はその言葉を聞けただけでもカンボジアに来た意味があると思った。

生きろ。

そうガイドさんに言われた気がした。

もう一人のガイドさんは街の様子を教えてくれた。
ひとつは地雷原。

この先はまだ地雷が除去出来ていないから入れないと教えてくれた。
その時は知らなかったんだけれど、地雷ってのは敵を殺傷する兵器じゃないんだよな。
「戦闘不能」にするための兵器なんだ。

四肢を粉砕して戦闘不能にする。
そうすれば兵士の侵攻を防ぐことが出来る。

他にもカンボジアには西側東側問わずに大量の兵器が入ってきたことを教えてくれた。
アメリカのライフルは威力が強いから当たると、当たったところじゃなくて、その裏側が爆ぜると教えてくれた。

そのガイドさんが実体験として経験した出来事としてだ。

で、その同じガイドさんが地元の学校の様子を見せてくれたんだ。

その学校の子達どんな表情をしていたと思う?

笑ってるんだ。
カメラに向かってピースサインを送ってくれるんだ。

もう、ホント。
感情がぐちゃぐちゃになった記憶がある。

世界を見るってこういうことなんだ。
そんなふうに思ったんだよね。

なあ、あんたはどうだい?

どんなふうに今の世界を見ている?

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