城島茂さんという物語
あんたも城島茂さんという人物を眺めているかい?
遅咲きのアイドルであり、グループのリーダーとして仲間を引っ張り続け、いまや経営者として組織を引っ張っている、あの城島茂さんだ。
あの柔和な笑顔は多くのヒトを和ませていると思う。
あの優しそうな人物が「ミス」に対して怒りをぶちまけたって話があるらしいんだよ。
ちっと想像つかないよな。
今回はそのニュースを眺めながらヒトの成長ってやつについて考えてみる回だ。
まあ、生き方ってどうするのが良いのか、ちっと一緒に考えてみようぜ。
城島茂さんが怒りをあらわにした「ミス」
今回、この事を考えてみようと思ったきっかけのニュースがある。
この記事によると、城島茂さんはとある料理番組で「わざと」した様に思われるミスについて怒りをあらわにしたらしい。
曰く、料理の素材と教えてくれたヒトに対して失礼に当たるってことだ。
普段温厚な城島茂さんが感情を爆発させたということに対して番組共演者は驚きを見せていたってことが書いてある。
これを読んだときの俺の感想は「ああ、城島茂さんらしい」ってもんだった。
城島茂さんにはこの「わざと料理をダメにする」って行為に対して怒るに十分な経験を積んできていると思うからなんだよね。
城島茂さんの経験
城島茂さんと言えば鉄腕ダッシュという番組と切り離して語ることが難しいと思う。
もともとはギタリストとして、人々を魅了してきたわけだけれど、鉄腕ダッシュという番組によって、城島茂さんは様々な人生観を手に入れ、様々な達成感を得て、様々な挫折を経験してきたと思うんだ。
多くのヒトから学び、その学びを活かしながら様々な動植物を育み、その生命をいただくことで様々な喜びと悲しみが得られることを体験し、ヒトの大切さと生命の大切さをこれでもかってくらいに体験してきた姿を俺たちは番組を通じて共有しているじゃんか。
その経験の中には自分に多くのことを伝えてくれたヒトとの死別や、多くの苦難をともにしてきた仲間に対する断罪による別れまで含まれている。
それらの別れは、彼らから受け取った知識と気持ちってものを城島茂さんにとって代えがたいものという気持ちを生み出していたんじゃないかと思うんだ。
だからこそ、この意図的な「ミス」について怒りが城島茂さんの中に湧き上がったってことなんだと思ったんだよね。
フードロスという課題
城島茂さんの経験した別れってことを考えると、俺みたいなオッサンはすぐに泣いちゃうやつだけれども、この悲しみの向こう側にあった食べ物を粗末にしちゃいけないという気持ちもスゲー大切なことだと思うんだ。
ポイントは食べ物を無駄にするって言う物理的な行為そのものよりも、それを「ダメ」って感じる気持ちだと思うんだよね。
もちろん食べ物を粗末に扱うことは、最終的にヒトという生き物の生存確率を下げる行為だと思うので、それそのものも避けた方がいい。
問題は、その避けるって行為をどうやって実現するのかって話だ。
だってよ?
俺たちが行動を一致させていくためには物語が必要じゃんか。
その意味では城島茂さんというヒトが紡ぎあげてきた絆という物語はうってつけじゃんか。
生き物の命をいただいているという物語。
その命を育て上げているヒトという生き物の物語。
その命を育て上げる手段を伝えるヒト。
それを受け取り、そして別のヒトに伝えていく物語。
これほどまでに、明日になにかをつなげていくって物語を表現しているヒトってそんなにいないと思うんだよ。
そのヒトが感じた「ミス」に対する怒り。
それそのものが物語じゃんか。
もちろん、いろんな仕事で受けている経験が城島茂さんという存在を作り上げているわけだけれど、それでもさ。
思うわけよ。
明雄さんと城島茂さんが出会っていなかったら、この怒りに対する物語を俺たちは想像できてなかったんじゃなかったかってさ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこの受け取った物語からどういう協力が出来ると思う?