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物語とヒト

あんたにもハマったアニメってのがあるかい?

俺にとっては最近では進撃の巨人と鬼滅の刃が二大巨塔なんだけれど、よく進撃の巨人は父性の物語で、鬼滅の刃は母性の物語だなんて言われるよな。

たしかに父性と母性という捉え方は俺もなんとなく同意できる。

ポイントは、父性の物語が圧倒的な悲劇の繰り返しで終わるのに対して、母性の物語はハッピーエンドで終わるってことなのかもしれないと思うんだよね。

今回は物語の終わり方について考えてみる回だ。

ちっと俺たちにとっての物語の意味みたいなことを考えてみようぜ。


ハッピーエンドと言う終わり方

ぶっちゃけ多くの物語はハッピーエンドと言う締めくくりをしていると思う。

そりゃ、物語を味わう側としたら、読後感が良い方が良いもんな。

最近の少年マンガでは、キレイに物語を終わらせる作品が多くなってきていると思う。

だいぶ前だけれど、こんなのを書いてたんだ。

昔は、人気マンガって終わらせるのが難しいってのがあったんだよ。
あ、ワンピースとかはその類で残ってる感じかな?

北斗の拳。アラレちゃん。ドラゴンボール。
おおう、ジャンプばっかだな。

マガジンならはじめの一歩とかになるかな。

まあ、そういう意味では今でも人気マンガってのはやめにくいってのは続いているってことになるのかもしれない。

でも、キレイに物語を終わらせるケースが増えているって感じもあるんだよね。

進撃の巨人も鬼滅の刃もものすごくキレイに終わってるじゃん。

で、キレイに終わらせるためには作者の意図ってのが必要になってくるってことだ。

つまり、ハッピーエンドだったら「幸せに物語を終わらせる」と言う作者の意図があるってことだよな。

なに?鬼滅の刃はあんだけ主人公まわりのヒトが障害を抱えて生きていく事になったんだからハッピーエンドじゃないんじゃないかって?

でもさ。
笑って終わってるじゃん。
さらには未来を描いて希望を感じさせる様にしている。

だから、鬼滅の刃はハッピーエンドの物語だって思うんだよ。

バッドエンドと言う終わり方

対して、進撃の巨人はバッドエンドだって思って良いと思う。

雑誌掲載の内容では描かれなかった繰り返しの悲劇を除いたとしてもバッドエンドだって思える作りになっていたと思うんだ。

なんつってもヒロインが主人公を止めるために主人公の命を奪う物語なんて、俺は見たこと無かった。

しかも愛ゆえに止めるんだ。

あの瞬間のミカサの表情を思い出せるかい?
あんなの思いつかねーよ。

そういう意味では、ものすごい意図をもってあのバッドエンドは描かれていたと思うんだ。

ハッピーエンドは多くの読者に求められている終わり方だと思う。
そのことを踏まえたうえでバッドエンドを描くってのは、ものすごい描くことへの執着みたいなのが必要になってくるんじゃないかって思うんだ。

そして、俺たちはその執着に魅了される。

事実、俺はコレを書いているだけで涙が出てくるもん。

感情を揺り動かす物語

でね。
鬼滅の刃も進撃の巨人も俺の感情を動かしたのは間違いないと思うんだ。

物語の進行のしかたや終わり方は全く違う2つの物語に俺は感情を動かされた。

なんでなんだ?
きっと、母性とか父性とかの話じゃなくて、そこにヒトが描かれていると思ったからだと思う。

例えばガンダム。
あの終わりのない戦いの世界で描かれているモノ。
それはヒトじゃんか。

例えばヤマト。
殲滅戦と言う圧倒的な戦争。(オリジナルのほうね)
あの「私には神様の姿が見えない」と言うセリフ。
オッサンになるとさ。
あのセリフがジワジワ効いてくるんだよ。
お前には神様が見えているのかってさ。

ヒトなんだよ。
俺たちが物語に求めているのはさ。

だとすればだよ。
俺たち全員が発信するSNS社会になっている今でだよ。

俺たちが表現するべきものってなんだ?
ヒトなんだろ?

じゃあ、ヒトを語れるくらい、俺たちはヒトを見ることが出来ているんだろうか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはヒトをどれだけ眺められているんだろうな?

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