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息子の涙の意味

誰かのミスを責めたくなる時。あんたにもあるよな?

俺たちオッサンにとって、なにかうまくいかないことは日常茶飯事なわけだが、その原因を自分の中に求めるってのは仕事の基本なのにもかかわらず、なかなか出来ないってのが実態だよな。

○○のせい、××がダメ。

色んな理由を自分の中に作り込んでいく。

でもさ、そうじゃないってことを息子が教えてくれた。

今回は、オッサンが息子から学んだ悔しさの源泉の話だ。

まあ、堅苦しい話じゃないからさ。
付き合ってくれよ。

息子がくもんに行った話

その日は俺が息子をくもんに送り届ける日だった。

息子が通っているくもんは家からちょっと離れていて、小学二年生の足だと軽く20分くらいかかってしまうようなところにある。

それだと、体力的にも厳しいし、時間的にももったいないってんで親が送りつけているわけだ。

で、俺がくもんの前まで車を乗り付けて、息子を下ろす。くもんに入っていくのを確認して、そのまま車を出す。

そして20分後に戻ってきて息子のくもんが終わるのを待つってスンポーだ。

予定通りにくもんの前で待っていたが、待てど暮らせど出てこない。

なんだ?難しい問題にでも出くわしたのか?

そう思っていながら、息子はくもんにはいってから一時間程度経ったときにようやく出てきた。

「おう、ずいぶん苦戦してたみたいだな」

息子はヘロヘロになりながら後部座席に乗り込んできた。

「難しい問題だったのか?」

「話したくない」

お?なんだ?早くも反抗期か?

そう思いながら、黙って車を走らせて家路についた。

息子が話したくない理由

息子が話さなかった理由。そいつはその日のうちに妻へのくもんからの電話でわかった。

どうやら、その日のくもんは送りつけた時間の30分あとから開始だったらしい。

息子は行ってから30分、待ちぼうけを食らっていたそうだ。

待っていた30分間、息子は何を思っていたのだろう?
時間を間違えた俺を責めていたんだろうか?
30分くらいなんとかしてほしいとくもんの先生を恨んだんだろうか?
それとも、この理不尽な状況そのものに不満を抱いていたんだろうか?

いずれにせよ、息子にとって納得の行かない時間を過ごしたに違いない。

その納得の行かない時間の後に、その原因である俺から「難しい問題だったのか?」と問われたときに、息子は俺を責めるのではなく、「話したくない」と言う言葉をチョイスした。

なんで、父を責めなかった?

電話の内容では、息子は待っている間に涙を流していたらしい。それだけ悔しい思いをしたってことなのか?
待っているだけの苦痛で涙したってことなのか?

それを聞いたときにオッサンなりに考えてみた。

息子にしたら全幅の信頼を置いている親が間違いを犯したってのが悔しかったんじゃないだろうか?

世の中は、完全な大人なんてものは存在しない。それを肌で感じるには世の中に出てもがき苦しんだ経験が必要だ。

今の息子にとっては、学校と家と習い事の世界が全てだ。

そのまだまだ狭い世界観の中で、息子の判断基準となっているもの。それが俺たち両親ということだと思う。

その両親が「間違った」という事実は息子の涙を誘うほどの衝撃だったってことなのかもしれない。

立派な親の姿

そんな息子の期待を背負っている俺たち両親はどうあるべきなんだろうな?

頑張って仕事して、頑張って子育てして、それでもミスはする。

ミスをすることそのものは、仕方がない。

課題はそのミスをどうやって息子に伝えていくかなんだよな。

ミスをしたら、謝る。

単純だけれども、それが大切なんだろうな。

自分が間違ったことで誰かが不利益を被る。その当たり前の構造に対して、すまないと感じる。
その感情を大切に育てていくのが大事なんだろうな。

その意味では息子は俺のミスに対して涙を流してくれた。

俺がすまないと思う代わりに自分で涙を流してくれた。

ありがとう。しっかり育ってくれて。

そんな感謝を感じる日だった。

なあ、あんたはどう思う?

息子の涙はそういう意味だと思うかい?

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