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「中止」と「失敗」という言葉

あんたはH3ロケット打ち上げがうまくいかなかったニュース見てたりするかい?

俺はよく知らなかったんで、上の記事を読ませてもらったんだけれどさ、どうもメインロケットに火を入れてからの発射中断ってのは日本では30年ぶりなんだそうだ。

いわく、発射6.3秒前に第1段エンジン(LE-9)に着火してその後、発射0.4秒前に固体ロケットブースタ(SRB-3)にも着火して、H3ロケットが打ち上がるはずだったんだと。

ところがこのLE-9からSRB-3に送信されるはずの信号が送信されず打ち上げを取りやめたってことらしい。

この事態について「中止」なのか「失敗」なのかみたいな記者とJAXAのやり取りがあったなんて話も出てて、その意味でも注目を集めてたりするよな。

今回はこの「中止」と「失敗」って状態について考えてみる回だ。

ちっと各々の立場ってやつを想像してみようぜ。

記者のヒトの立場を想像する

ネットに転がっている情報によれば、どうも記者のヒトの発言では今回のH3ロケット発射中断は「失敗」って認識らしい。

さっき書いたように発信されるはずの信号が発信されてないんだから失敗じゃろがいってことかな?

しかもメインロケットに火を入れてからの話だから、まかり間違ったら大事故につながりかねない。

それ故に、「失敗」とすることで誰かが責任を取らないことには世間も納得できないってことを考えていたのかもしれない。

JAXAの立場を想像する

一方JAXAの立場を想像すると、発射シーケンスに入っているという実にギリギリの状態でも、発生したトラブルに対して「正常に中断できた」ってことなんだと思う。

つまり、トラブルに対応するための仕組みが正常に動作したってわけだ。

この感覚はシステム開発でも同じことが考慮されたりしている。

いざ、ハードトラブルが起きたときに、正常に縮退運転(性能は落ちるけれどサービス提供は継続されている状態)に切り替わるかとか、最悪サービスダウンになってしまったとしても、予め決められたバックアップでリカバリできるかとかね。

ちっと毛色が違うけれど、ソフトウェアの開発において、一定数のバグが「きちんと」出ているかなんてのもある。
ヒトはミスをするのが前提で、そのミスを「検出出来ていない」ってのがソフトウェア品質上問題とされるってやつだ。

その感覚で行けば、H3ロケットの発射が止まったのは「中止」であって「失敗」じゃないんだよな。

きちんと「計画通りに中止した」ってことだもんよ。

「失敗」にする価値と「中止」にする価値

各々の立場ってのを想像した上で、今回のH3ロケット発射が出来なかったことを「失敗」としたほうが、日本としては価値を生むんだろうか?
それとも「中止」としたほうが、価値を生むんだろうか?

「失敗」とした場合は、最悪H3ロケットのプロジェクトのいくつかが吹っ飛ぶ可能性がある。

その場合は下手をすれば年単位での日本の宇宙開発の遅れを生じさせて、世界に対する日本の宇宙開発競争力を削ぐことになると思う。

その代わり、「失敗」の文字が雑誌上で乱れ咲くだろうから、雑誌の売上は短期的には向上するかもしれない。

でも、まあその意味ではすでにこの話題はある程度取り上げられているから、すでにメリットは得ているって状況かもね。

じゃあ「中止」とした場合は?

今回みたいに記者のヒトが「失敗」でしょ?って噛みついてなかったらどうなんだろう?

ぶっちゃけ、粛々とH3ロケットのプロジェクトは進んでいき、今の計画との誤差をどうやって修正していくのかって言う実務的なところになっていくだろう。

でもさ。
この「中止」か「失敗」かって話題性によって、あきらかにH3ロケットって日本の宇宙技術に興味を持ったヒトっているよな。

あの記者さんがいなかったら、その興味は得られなかったかもしれない。

もしかしたら、この騒ぎは中長期的にはメリットを生み出したのかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

日本の宇宙開発において、今回のことは何を生み出したんだろうな?

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