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一緒に幸せになりたいやつ

最悪な気分ってやつ、あるよな。

今日もyahoo知恵袋には「死にたい」だの「自殺します」だのの投稿が寄せられている。
まあ、生きてりゃ辛いことの一つや二つあるわけだが、それでも追い詰められる気分ってのはあるよな。

今回は、追い詰められた気分ってのが本当にあんたのために必要なのか?
あんたは誰と付き合っていくのがいいのか?
って話だ。

まあ、気を抜いて読んでくれよ。

悩み事のほとんどは人間関係

悩み事のほとんどは人間関係って言う話がある。

人間は人の間って書くくらいだから、人との関係ってのは本当に重要なんだが、それが自分を追い詰める瞬間ってのがあるのは、わりかし普通のことだ。

人が自分の自我ってやつを持っている以上は、そこに意見の対立や認識の齟齬ってやつが普通に発生する。

中には、その問題が生じたことに対して「自分のせいじゃない」って他責化するやつも普通にいる。

まあ、そういうやつは信頼を得ることは難しいとは思うけどな。

兎にも角にも、悩み事はほとんど人間関係に属するってのは多分事実だ。

人間関係の重要な部分

人間関係ってのは普通に大切なものなんだが、すべての人と仲良くすることは現実問題として無理だ。

なぜなら、俺たち自身も自我を持っているからな。すべての他人の意見をそのまま受け取ることが出来るようにはなっていないわけだ。

では、その軋轢のようなものをどうすればよいのか?

まあ、こう言っちゃなんだが、すべての人とうまくいくように出来ていないのなら、自分にとって心地よい人ってのを見極めて、それ以外の人については、それなりの付き合いをするってことでいいんじゃないか?

心地よくないことを言ってくる他人の中には、自分の成長を促してくれる人もいる。
ただ、それこそその他人に対して、あんたが信頼を置けているかどうかってのが重要だ。

信頼していないやつから不快なことを言われても、それはあんたが学ぶきっかけには決してならない。
なにしろあんた自身がその他人のことを認めていないわけだからな。

つまり、あんたが他人との関わりであんたを高めるために必要なのは、その他人を認めることなわけだ。

他人を認めるために必要なこと

とは言え、誰でも彼でも認めることが出来るわけじゃない。

その人が認めるに足る人なのかどうかは常に見極めていかなきゃいけない。

その見極めに必要なものってのは何なのか?

おそらくは、あんたの感性でそいつを認められるかどうかってことだ。

こいつばかりは、「こう言う人を認めたほうが良いですぜ」ってのを俺が言うことは出来ない。
俺の色眼鏡であんたの人間関係を決めるわけに行かないからな。

そこにあるのはあんたの感性だ。

あんたが認めたいって思う基準ってのを考えてみるのは大切なことだと思う。

それはあんたが、誰と一緒に幸せになりたいかってことだからな。

なあ、あんたは誰を幸せにしたい?

誰と一緒に世界を作っていこうか?

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