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えんとつ町のプペルの世界観を深堀りしてみる

あんたもえんとつ町のプペルを見に行って楽しめた部分と楽しめなかった部分とに翻弄されているかい?

何回か書かせてもらっているけれども、えんとつ町のプペルは俺にとっては60点の作品だった。
もちろん、映像表現は素晴らしいし、夢を諦めるなってテーマも素晴らしい。

その上で、同時に不満も抱えてしまったってことを前にも書かせてもらった。

その上でだよ?

俺たちはこの物語を楽しむ方法って、この作品を鑑賞して語り合うだけなのか?

この作品をベースに二次創作を作り上げることなんてできないのか?

今回はえんとつ町のプペルをベースにした二次創作の可能性について考えてみる回だ。

まあ、あれだよ。アニメ好きのオッサンの与太話にちっと付き合ってくれよな。

えんとつ町のプペルの描きシロを考える

えんとつ町のプペルって作品は結構な「なんでだよ」を描いていない。

異端審問官たちがどんな思いで活動していたのかもわからないし、レターがどんな思いで世界を守っていたのかもわからない。

星を語るヒトを否定したくなる人々の思いもわからないし、何よりも海が見えているのにその先に興味を持たないってヒトの感覚がわからない。

わかんないことだらけなんだ。

でもさ、このあたりのことは逆に言えば「そこにある物語」をこさえられるってことなんだと思うんだよな。

まずは異端審問官について妄想してみよう。

異端審問官の疑問を整理する

まず異端審問官ってのはどこまで何を知っているんだろう?

異端審問官の長であるトシアキはこの世界の秘密ってやつを理解していると思う。

でも異端審問官の実行部隊のヒトたちはそれを知っているんだろうか?

それって無理くさくね?
だって、そんなでっかい秘密をもれなく守れるほどヒトという生き物は強くないじゃんか。

でもそうすると矛盾が出てきてしまう。

だって自分たちの業務内容を把握しないで動いていることになるもんな。
そうなると自律的に動くことができない組織になってしまう。

それとも、なにも知らずに「規定」だけで動く組織ってことなんだろうか?

その場合は「規定」に反することを治安維持に多大な影響をもたらすって価値観を持っている必要がある。

この辺が考えシロのあるところなのかもな。

一般の異端審問官が知っている範囲

じゃあ、一般の異端審問官が知っていることってどの程度までなのか?

(1)外の世界があることを知っているのか?
(2)Lという経済圏がもたらす効果を把握できているのか?
(3)えんとつ町が出来た歴史を把握できているのか?

(2)以外は知っていたら異端審問官なんて逆にやっていられないかもしれない。
ヒトって生き物は本来「自由」って言葉に縛られてしまう生き物だと思うからさ。

何?自由に縛られるって言葉がおかしくないかって?

まあ、その辺は俺たちには自由意志がないって事を他の記事でも書いているので、見てみてくれよな。

で(2)だけれども、この事を知っていたら絶対に「保有欲」ってのが出てきて、通常の経済圏を作りたいってやつが出てこないと不自然だ。

そもそもその秘密こそがえんとつ町の最大の秘密だろうからね。

って考えていくと異端審問官はあくまで「規定」に従って動く組織って考えていくのが妥当ってことなんだろう。

コイツはちっと難易度が高くなってきたぞ。

プペルを廃絶する「規定」

となると更に問題が出てくる。

プペルのような全くの想定外の存在を廃絶する「規定」をどうやれば作れるんだろう?

何言ってっかわかんね~って?

だってプペルのような存在が事前に居るってことを想定できなければ、それを廃絶するって「規定」なんて作れっこないじゃんか。

「規定」が作れない以上はそこにはヒトの判断ってのが挟まってこざるを得ない。

おお、なんてこった。

えんとつ町は法治国家じゃないってことになってくる。

プペルを見て「あれは悪だ」って判断しているヒトが居るってわけだ。
なんたる情治国家だ。

ん?それの何が悪いんだって?
悪いさ。
だって、その判断するヒトがダメって判断したら、それだけで昨日まで罪のなかったヒトが罪人になる世界ってことだぞ。

情治国家ってのは集団リンチを容認する世界観だ。

ああ、でもえんとつ町のプペルのテーマは同調圧力の否定でもあるもんな。

だとしたら、えんとつ町はそんなとんでもないディストピアってことにしたほうが話が膨らむってことなのかもな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはえんとつ町のプペルという作品を深堀りしていくことが出来ると思うかい?


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