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「ぶっとばす」という愛情

あんたにはぶっとばしたいやつってのがいるかい?

オッサンともなるとだ。
個人的に誰かを否定するってことがめちゃくちゃ疲れる行為だってのを肌身で感じているから、無意識のうちに誰かを完全否定するってのをしないようにしている気がするんだよね。

それゆえに誰かをぶっとばしたいって思った記憶って大分ワカゾーの頃の記憶までたどっていかないといけない感じがするんだ。

ワカゾーの頃は実に多くの不満ってのを抱えていた気がする。
上司にたいする不満。
同僚にたいする不満。
顧客にたいする不満。

なんでそんなに不満を感じていたのかって考えてみると、意外に明確な理由ってのを思い出せない。

いや、思い出せないというよりも、おんなじ状況になったとしても、今の俺は「ぶっとばしたい」と感じることができなくなっているってのが正しいかもしれない。

今回はこのぶっ飛ばしたいという感情について考えてみる回だ。

まあ、枯れたオッサンの感情を眺めるのに付き合ってくれよな。

ぶっとばしたいやつ企画

今回、この「ぶっとばしたいやつ」ってキーワードをくれた企画があるんだ。

#お前ぶっとばす企画

えぐいほどのインパクトのあるフレーズだよな。
俺の記憶の中で「ぶっとばす」って言葉を使ってたヒトってジャイアンくらいしかいないんだよな。
あ、違う。
ちょっと前の上司が愛情を込めて部下に「おめぇ、ぶっとばすぞ」っていってた。

ジャイアンもそうだけれど、ぶっとばすって言葉って結構愛情を伴った言葉だよな。

オッサンをぶっとばしたいやつ

現実問題としてだ。
俺みたいな理屈で完全武装しているようなオッサンを目の前にしてだ。
「コイツぶっとばしたい」って思ってくれるようなヒトってそんなに多くないと思う。

だって面倒だもんよ。

面倒くさいやつがいたら、多くのヒトはその面倒から避けて行動しようとするもんだよな。

それでも、俺のことをぶっとばしたいやつってのは0じゃないとも思う。

こう言っちゃなんだけれども、考え方の偏りかたが俺の周囲にいるヒトと比べても結構エグいって自覚はあるんだよ。
ただ、このnoteでの俺の偏った意見に対して真っ向勝負を挑んでくる勇者は今のところいない。

もちろん、意見が違うってことだったり俺の解釈が違うって指摘は普通にあるわけだけれども、俺の持っている考え方そのものに言葉を使って攻撃的に挑まれることはまるでない。

っていうか、指摘を受けた時点で俺の考え方の偏りに気づくことが多いから、ケンカにならないってのが実態なのかもしれない。

そう言う意味では俺のことを「ぶっとばしたい」と誰かが思う前に「まあまあまあ」と俺が逃げ腰になっているって側面もあるのかもな。

愛のある「ぶっとばす」

そう考えてみると、俺は「ぶっとばす」という愛情を受けることができていないってことになる。

こいつは実に寂しい。

例えばだ。
俺は何回か自分とは異なる意見のnoteを取り上げて、自分の意見との違いを整理するなんてnote記事をあげていたりする。

俺としてはシンプルに自分の意見とは異なる意見を持っているヒトの話を聞いてみたいって感情もあるわけだけれども、残念ながらそう言うnoteで取り上げたnote作者さんからの反応をもらったことはない。

そらそうだ。
こんな面倒くさい感じの見ず知らずのオッサンとからむメリットないもんね。

でも、普段から俺のnoteを読んでくれているヒトならどうだろう?

「香坂さん、あんた違うよ!」と言ってくれるんだろうか?

多分、言ってくれたヒトに対して、俺は面倒くさいことをするんだと思う。
自分とは違う意見がどうして生じたのかを事細かに確認しに行くんだろう。
それと同時に、自分の意見がどうして生じたのかってのも考えると思う。

議論ってそう言うもんだよな。

そうか。
俺はぶっとばされたいだけじゃなくて、ぶっとばし合いたいのか。

本気で議論を交わし合うってのは俺の人生経験の中でも、本当に限られた期間、限られた友人としか出来たことがないって思う。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはSNSというツールを使うことで本気の議論が出来ると思うかい?

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