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実家へ #3

2021年元旦 実家へ
新年のお祝いを兼ねて、お弁当届けに。
お正月の三が日は、施設のお弁当がお休み。
元旦と3日で手分けして兄夫婦と通う。

 今回は年末の行動に気をつけて、体調不良ないので揃って皆んなで。



手指の消毒、換気、マスク着用で会話。

着いた時の両親の様子はなんだかぼんやり。
母は「どちら様?」と。
父もおめでとうと言った後はぼんやり無口。
母の認知が進んできて、父は鬱傾向。

今日の分のお薬を飲ませて、仕込んでいったお雑煮作り。


かまぼこ 飾り切りしたのに!誰も気づいてくれなかったのだ。残念。

 父、母それぞれお風呂の介助。
体の洗い方あやしい母は声掛けで何とか入浴。
お着替えも、1番下の下着はオムツになった。

膝骸骨骨折から、やっとギプス取れたばかりの父は服の着脱が困難。背中が乾燥で痒いとのことで、ゴシゴシ背中流して全身オロナイン塗りまくる!気持ち良かったねぇ〜。
その間 旦那さまと子どもたちは近くの公園で遊んで来てもらう。

こどものころからたまーに行っていた児童公園。地元の子等が2人来ていたらしく、その子等とサッカーしたらしい。

 孫ちゃんたちまでいて、情報量多めで疲れてきた父母おいて、近くの神社にお参り。

高台にある神社。シーン!と誰もおらず。
鐘をついて色々願って参りました。初詣。

隣りのお寺まで散歩。
建て替えたのか、、、ピカピカの本堂は何だかな、、、。な 感じだったけど。
観音様は裏の竹林から抜ける夕焼けに照らされて美しかった。

 帰り道 急にお腹空いて回る寿司が久しぶりに食べたい!と言う長女のリクエスト。1年以上ぶりの回転ずしですな。
アプリで予約したら待ち時間15分と出たので迷わず向かったが、、!45分待ち。混んでる? それぞれ席が仕切られているちょっと田舎の回転ずしやさんは ソーシャルディスタンス保たれていてちょっと安心感。
色々注文してたらふく食べてしまった。

 大満足でうとうとしながら高速に乗ったなぁ、と思ったら、、「着いたよー!」あっと言う間に自宅。今までで1番早く着いた!と旦那さん。運転ありがとう。ご苦労様。

うちから実家まで約58キロ、実は信号は3箇所しかない。私も車の運転が好きだったら良かったのに、、、普段は電車乗りついで最寄りの駅から30分歩くと片道2時間かけて通う。

 折角の運転免許だから、ペーパードライバー講習を受けて実家くらい車で行けるようにしよう、、、なんて思ったこともあったが。
性格上か、何だか分からないのだが、運転中の判断スピードが普段の10倍くらいに下がる自分の運転にイライラしてどうもイケナイ。
反射神経も、運転テクニックも、そう悪い方ではないはずなんだけど。苦手意識が拭えない。

 警察官だった父は交通課が長くて、酷い交通事故があった夜はなかなか帰って来なかった。
亡くなった方の冥福を祈って、飲めないお酒を
一緒に処理した仲間と交わすのだった。
兄がバイクにハマりレーサータイプのイカしたのに乗ってツーリングに行くようになるころ、
同じ年頃の若者の事故があった時には、
私と兄を抱き寄せて泣いていた。
「俺より先に死ぬな」
小さい頃から交通ルールはうるさく言い聞かされて来た私は、いつからか何かしらの恐怖感をつのらせてきたのかもしれない。
父よ、貴方のせいだよ。きっと。


         ☆☆☆


 母の認知は少しずつ進んでいる事、確認。
父の食欲は少しずつ増えて体力も回復してきている。ただやる気はゼロな事も確認。
母のデイケアに通う荷物は兄嫁が1週間分を棚に分けて用意してくれていた。母の毎日の薬は小分けにして玄関に置いてあり、施設のお迎えのドライバーさんが毎日そこから持っていってくれているらしい。

 沢山の人の手を借りて年寄り2人はなんとか生活している。私は月に1〜2度 掃除に行くくらいで申し訳ない気持ちだが、何とか今のやり方で半年、1年生活していって欲しい。


 父に、母と2人で撮った写真を焼いて来て欲しいと頼まれた。 
今はかろうじて、父を「おとうさん」と呼んでお互いの関係を認識している。
母が父の事を分からなくなることが怖いのではないか、、、と思う。
写真をみせて確認させたいのかな。

 小学生の頃から一緒で、若くして結婚。貧しくもコツコツ真面目にやってきた。熊本男児でワガママもあった気もするが、母が大病してからは、ずっと優しい旦那さんだった。母はチャレンジャーだった。そのチャレンジを父なりにサポートもしていた。
母の認知が進む段階、段階で父は迷い、悩んできたのだと思う。毎年のように父自身も体調を崩して、兄夫婦も私もその度にワタワタしてきた。

 2人の生活が少しずつ細くなっていくのを感じている。悲しいとか、寂しいとか、そう言う感情より自分はどうしたいのか。自分がもっと年を取って病気になったり認知があやしくなったりしたとき、娘たちになんていって助けてもらうのか、もらわないのか。
いわゆる「老後」を考えている。

 目先のコロナウィルスより、ずっと先の老後。ま、もちろん生きていたらなんだけど。
誰かに恨まれて命を狙われたり、自然災害に対処出来なかったり、ウィルスに負けたり、飛んできた何かに頭ぶつけたり、そんな事が絶対にないとは言えないんだけども。
できるだけそういうめに合わないように。


生きていこう。 


 今月はもう一度か二度は実家に行こうと思う。お仕事休ませていただいて。
父、母の顔見ないとやはり、、落ち着かないんだな。 会っておけば良かった、やっておけば良かった、にならない様に。

 今年の正月は実家に帰れない人が多かったろう。お互いを気にしながら、心配しながら。

切ないな。


         ☆☆☆


 後悔しないように。
せめて連絡しておこう。話して、不毛な気持ちになっても、、、仕方ない。しておこう。
出来たら顔みせよう。 
ちょっとでも覚えておいてもらえるように。
頼ってもらえるように。




 2人の若いときの写真を見つけた。
私も、兄も生まれてない、まだ2人だけの時の写真。23.24才くらいかな。
お金はなかったんだろうけど、きっと幸せだったんだろうと信じたい。
この後、兄が生まれ 私がその3年後に生まれた。社宅(警察校舎)で同じ匂いの人たちのなかで安心感の内に育った。

 それなりに大事に育ててもらった。間違いない。 親孝行、、、ってなんだろう。
ひとつでも多く笑顔。 笑顔になってもらうには、会うのが一番なんだろうね。

会いにいくよ。

会いにいくよ。

お父さん、お母さん、会いに行くよ。




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