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実家へ #4

 緊急事態宣言下、ではあるものの兄夫婦の手に負えない事態勃発で実家に向かう。
先週父がベッドから降りる際に転倒、横っ尻をしこたま打って歩けなくなった。
もちろん直ぐに兄夫婦が病院で検査を受けさせてくれて、ひとまず骨折はなかろう。との診断があったにも関わらず、ベッドから起き上がることもしなくなってトイレも介助。

 兄夫婦が交代で泊まり込んで面倒を見てくれている。 兄はテレワークしながらの介護を会社に許してもらって今週も丸々実家で過ごすとのこと。

電話で話を聞くだけだと、骨折が隠れているのか打撲の程度がどのくらいかはやはり分かりづらい。12月の膝骸骨骨折から鬱傾向でご飯をちゃんと食べてくれなくなった父は、更に落ち込み全然良くなろうとしないもんだから、
痛いと全然動かないし、そんなに痛いのはおかしいから大きな病院にセカンドオピニオン取るべきか。 このまま寝たきりにでもなるんではなかろうか。 
ついでに、父は寝てばかりで全く母を気にしなくなって、今まで以上につまらなくなった母は早朝からふらふら外に出てしまい帰れず保護される。父が少し良くなったとしても母の面倒はもう見られないだろう。

不安だ!

不安しかない!

父さんは歩けるようになるのか?
今後のこと話したいから来て!

はい。行きます。

         ☆☆☆

 口をポカーンと開いたまま眠る父の顔を見て、「死んじゃったらこんな感じだろうな」
「死んでないけど」と思ってしまった。
痩せてる。ガリッガリだわ。
乾いた上唇は完全に歯の上にあがっちゃってるじゃないか。我が父ながらなんてツラだ。
おぃおぃ 生気がないにも程があろう。これで起きたらゾンビだぞ!
そのゾンビが兄に起こされて、私を見ると
「燈子が来た〜!!」って♡ハートマークついたような声で目をウルウルさせてた。
「ごめんね、お父さん。」自分の不適切な妄想を心の中で詫びた。
そうだよなぁ。電話ではしょっちゅう話してるけど、会うのは元旦以来。
喜んでくれたのは素直に嬉しい。
喜んだ勢いで痛い方の足もヴヴッとなりながらも動かして、自力で起き上がった。

「父さん! 起きれるじゃん!」
兄は驚いていたけど、私はちょっと安心した。
骨折は無さそうだね。

 体勢を変えてくれたチャンスだったので、そのまま直ぐ治療することにした。
幾つかチェックして、1番痛がる臀部を触ると微かに熱感と酷い硬さ。
筋肉量も減り、痩せたお尻から落ちたらこうなるんだな。そりゃあ痛かろう。良く大腿骨折れなかった! 偉い!
否、ベッドから降りるくらいでコケるか?
コケるんだな。そりゃあ老人になるというのは大変危険なことなのである。

そんなことを考えながら 鍼で硬結を取ってゆく。だんだん指で押せるくらいになる。
結構広範囲に圧痛を認めた。鍼は嫌い!嫌!
といつも拒否する父も今回は大人しく打たせてくれた。
軽く指圧をかけられるくらいまで取れたらマッサージ。今日はこちらの方が痛い。
しかめっ面がだんだん解けてリラックスするまで優しめに触ってゆく。
腿や腰もチェック。大丈夫。

自力で動かすのは痛みが強いが、他動でなら股関節が充分曲げられる。 良かった。 「骨折はないね、良くなるよ。また歩けるから大丈夫。」と声をかけると 「そうかー。」と安堵の表情。

 1番安堵していたのは兄だった。


         ☆☆☆

 母の認知はこの2ヶ月弱で更に進んでいて、
直ぐ外に出てしまう。今回の怪我が治ったとしても膝の悪い父が母を追いかけることも出来ないし。もうそろそろ母は施設にお願いする時期ではないかと思われる。
兄夫婦と私の共通見解。
ケアマネジャーさんと午前中に相談してくれていた。
要介護2の母は、自分で出来る事は職員さんの見守りの中何でもやってもらって自立を促す方向で。
小さなグループホームが良いのではないかとすすめてもらったそう。
なるほど。認知症が進んだら特養(特別養護施設)と思っていたが、程度やタイプで選択肢が幾つかあるのだな。

もともと、人見知りでなかなか他人に心を許さない母であったが、
私や兄に「誰?」と聞くくらいだので、たとえホームに入所しても、毎日新鮮に人々に出会う、という毎日を送ることになるのだろう。
色んなことが分からなくなることへの不安も一時期より減ってきたようだ。

 今日、私は何処へ帰るの?此処じゃないわよね? 自分で散々こだわって建て直した家を我が家と思えない程沢山の事を忘れてしまった。
新しい記憶を定着出来なくなっただけでなく、
自分は今、熊本は仁王堂に住んでいて旧姓のままだと言う。 認知症も千差万別あるのだろうが、母の場合は過去に向けて記憶の侵食がどんどん進んで行っているようだ。

 旧姓に戻るくらいだから、娘の私のことを認識できなくても当たり前だな。
切ないけれど、思ったよりも悲しくない。
これが、母の老い方なのだ。
もうすぐ80歳。日本の平均寿命には届かないが、世界中新型コロナで大量の人が亡くなっている状況にあって、80まで生きられたらまずまずなんじゃないか、とも思える。
母は、認知は進んでも身体は意外と丈夫。
まだまだいけるのじゃないかな。
認識されなくても私は貴女の娘です。
それは私が認識している限り、変わらないことだから大丈夫なのだ。

         ☆☆☆


 父の治療してひと息ついて。
兄夫婦が掃除も洗濯もしてくれていて、何もしなきゃならない事がないのね。
話しながら、兄嫁、そして兄をマッサージと鍼で治療させてもらう。
お義姉さんには本当に、頭が下がる。なんだかこれから色々ありそうだから、バイト始めたばかりだけど、辞めて備える。そう言ってから2週間も経たずにこの状況だ。
常に施設やケアマネージャーや警察署からの連絡に対応してくれている。

きっと体も疲れているだろう。
そう思ってマッサージを始めたのだけれど、思った程ではなかった。お義姉さんの年頃の問題(実は私も同い年)は多少感じたものの、現在の問題より 今後起こり得る問題の方が気になるくらい普通だった。筋肉量が少ないから。

兄もコロナ禍だから、テレワーク。
介護と両立させてもらって、実家にポケットWiFi持ち込んで仕事しながら介護してくれている。
こちらは、結構突っ込みどころ満載な感じ。
去年、庭の表も裏も一手に引き受けてくれた。
かなりな重労働のあとのぎっくり腰。
その時も鍼治療させてもらって、良くなったと言っていたけど。
腰中心に鍼刺激で緩めて、眼精疲労、花粉アレルギー症状にも!とちょっと鍼。
お兄ちゃん、無理しないでね。頑張りすぎな気がしたよ。私が言えた事でないので口には出来なかったわ。

         ☆☆☆

 兄がもより駅から実家まで車を出してくれたので、かなり楽だった今回の帰省。夜8時前に帰宅できた。
本当はもっと頻繁に顔を出したいところだけど。うちの受験生のこと考えるとやはり外出し難い。電車移動で感染はないだろうと思うけれど。やはり怖いのだよなぁ。
受験は本人の問題で、してあげられる事なんて全っ然なくて。「受験生抱えてるからぁー」なんて言えないけど。

 「伊勢原のじぃじとばぁばはどう?大丈夫だった?」自分も大変なのに、気にしてくれる我が娘よ!優しい。優しいじゃーないか! 
入試直前(略して入直と言うのだそうだ)で受けているのはデッサン。講座を受けるというより、ひたすら描きまくっているらしい。腕が上がらなくなるくらい描く。
で、こちらにも鍼治療。良かったね、母が鍼灸師で。何学部にせよ受験生というのは大変だ。

 さて、帰宅途中でテイクアウトした牛丼でも食べますかね。

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