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メンタルやられた話

はい、題名の通り私が病んだときの話を書きたいと思います。病んだときと書きましたが、実は今も受診と内服続けてるので病んでる最中ではあるんですが(笑)

取り敢えず、時系列でつらつらと書いていきます。勢いで書いてるので変なとこあっても目をつぶってください。

壊れてしまうと思った。誰も味方がいなかったから

コロナがちょうど流行った年の3月に上司が辞め、4月から私が所属長にならざるを得ない状況でした。さらにさらに、部下の一人が産休育休にもなるとのことで私は所属長業務とMSWとしてケースを担当することとで手一杯になってました。翌年その部下は育休あけて戻ってきましたがコロナのクラスターで転院調整、施設入所も思うように進まず、でも急性期病院としてベッドを明けるように病院の上の人から言われ…もうホント今考えたらなんともなってなかったですね!でもなんとか回してました、そのはずです。

そんなてんてこ舞いな所属長2年目の秋のことでした。その日はいつも通り寝不足で且つ生理にもなってしまい体調的には絶不調でした。今日は早く帰ろうと定時を過ぎて帰り支度をしていた時に部下3人から声をかけられました。早い話、面かせやコラァってことです(笑)私も体調が悪いから、時間外だからと断ればよかったのに話を聞いてしまったんですよ…

1人vs3人、もちろん1人は私です。いや〜3人から袋叩きです、4時間も。明日もあるからって私が言わなかったらいつまでやるつもりだったんですかねあの子達。ひたすら私がどれだけ出来てないかを言われてました。そのつもりが部下になかったとしても、私は今でも兎に角攻撃された、そう思ってます。

その中で今でもずっと心にぶっ刺さっている言葉は、私が所属長に向いていないと泣きながら言った時、部下の1人から『上に立つ人が向いてないとか泣き言言わないで下さい!』です。正直私は上に立ちたくないとずっと思ってて、所属長もやれる人がいなかったから、変な人が移動して来て上に立つくらいなら部下のためにも私がやるしかないと思ってやってたんです。それなのに私を支えてくれることはないんだ、と。突き上げをくらってボロボロになってその日は帰りましたが家についたら日をまたいでて…ほんと辛かった。
翌日というかもう当日なんですが、出勤したくなかったけど義務感だけで出勤したらそこでも部下に笑いながら、『昨日あれだったから今日来ないかもって思ってました』って言われたのも追い打ちでした。

もうそこからはとにかく動くのに気合が必要だし、何もしてなくても涙が出るし。あとは帰宅中に一瞬でしたが電車でうたた寝して起きてここはどこ?何?ってパニックになったのはめっちゃ怖かった!
泣いた後目を真っ赤にしながら震える声でカンファレンスとか出てましたね〜周りの先生とか看護師はどう思ってたんですかね?気づいてもくれてなかったのかなぁ。

そして受診する

まぁそんな状態でも部下は心配とかしてくれないんで、自分で調べて就業後にメンタルクリニック受診しました。医者に優しく状況を聞かれてもうボロ泣き。ティッシュ差し出されて申し訳なかったです。診察時間も超過したのか事務員さんが声かけに来ました(笑)
んで、一応適応障害と診断され、もう所属長できないって上の人に泣きついて、私をボロカスに言ってた部下に所属長をぶん投げて今に至るって感じです。


もう絶対に上には立たないという決意

もう頑張っても無駄だと思ってしまったので、頑張らないし頑張れない。
直属の上司に加えてさらに上の人にも私はもう頑張れないし頑張りたくないと伝えてあります。楽しく生きるために仕事はしてると割り切って、申し訳ないですがMSWとしての技量を上げるために業務外で勉強とか仕事につながることは全くやりません。
仕事のことプライベートでも考え始めたら心が死んじゃうので。
だから私みたいな向上心がない奴は上に立たない方が良いんです。

やりたくないことは一生やらないという強い決意で今日も私は生きてます。

ちなみに余談ですが、私に泣き言を言うなって言った部下はパパっと転職していきました。自分本意な方が元気に生きれますよね、そこはすごいと思います、そうはなりたくないけど。やめる時もらった手紙は残念ながら数年経った今でも読めていません。机の上に置いてありますが読める日は来るんでしょうかね。


いつもより大ボリュームになってしまいましたが、ここまで読んで下さってありがとうございました。
また機会があればその後の自分を振り返りながら状況をかければと思います。

睡眠はほんと大事ですよ!!!

                   byナノハナ

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