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GRAFFITI CULTURE①

自分は文字を並べて文章を作る行為が好きだ。
学生時代の理数系の期末テストは、平気で20点とか15点とかを叩き出すような学生だった。
確か高校も数学は追試を繰り返して、追試をやる度に点数が落ちていった。
逆に困り果てる先生を見かねて、当時の悪友と教壇の上で先生に土下座、天まで飛ばすくらいの勢いのおだての合わせ技で、評価基準を無理矢理切り替えさせて、単位をもらった記憶がある。
これは自分の為と同時に、困り果ててどうしていいか解らそうな先生に対しての
「こんな不毛な事はもう終わりにしよう。」という
自分なりの相手を想っての譲歩だったが、
今思うと何目線でこんな事をしたんだろうか?としか思わない。
少し変わった角度の落ちこぼれだったんだろう。
先生ありがとう。


かたや、国語の点数は毎回良かったし、文章を作るという点においては一瞬、芽が出そうな感じだったが、持ち前の飽き性と忍耐力不足、天邪鬼で自らその芽を刈る結果となった。
といっても25年くらい前の昔話だ。
要は文書を構成する作業は、前提で好きだしメンタルも落ちつくし、頭の整理も出来て、自分を知る事にもなる。
良い事だらけだ。


全く話は変わるが

今回の日記のタイトルにもある
「graffiti 」「グラフィティー」

自分はこのgraffitiという文化が好きだ。
音楽に追随する好きなモノのひとつ。
音楽と肩を並べて君臨しているのは「プロレス」だが、それはまた別途。

graffitiとは、街中の電柱や壁、線路脇、公共物を中心とした至る所に、
ペン、ステッカー、スプレーなどを駆使して
自分のオリジナルのデザインを描いて、自らの存在を証明するSTREETカルチャーであり同時にREBEL カルチャーで犯罪行為でもある。(器物破損、建造物侵入罪がよく適応される)
決定的に好きになったキッカケは2005年に水戸の街全体で開かれたX COLORという超大規模なgraffitiの展覧会を見に行った事。
所謂「不良」ではなかった自分も、当時は若いという事もあり、頭のネジも見事に外れていて怖いモノなんてなかった。
都内から水戸に向かう電車の常磐線(ジョーバン線)をトキワ線(from常盤貴子)と読むと仲間全員で思い込んでいて
「トキワ線が、トキワ線が」
と都内の最寄駅で買った130円の切符を握りしめて、BOX席で内容ゼロの会話を大声で繰り広げつつ、
しまいには窓を開けて車内で大○を吸いながら水戸駅を目指す愚行を何のためらいもなくやった。
今となっては良い思い出だ。
本当によくその状況でパクられなかったと思うし、こんな分かりやすい馬鹿の集団を他所で見た事はなかった。
もしかしたら自分達が乗ってた電車はホントにジョーバン線じゃなくてトキワ線だったのかもしれない。
続く…















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