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毎日を痛みとともに生きる……ってどんな感じ?──『子宮内膜症で痛すぎてセックスも満足にできない女子が、毎日闘いながら生きていく話』、ためし読み公開

1月14日金曜日、ララ・パーカー著、森優里 訳『子宮内膜症で痛すぎてセックスも満足にできない女子が、毎日闘いながら生きていく話』がDU BOOKSより刊行されます。

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帯コメントのこだまさんや長田杏奈さんのお言葉通り、タブー視されている婦人科系疾患に慢性的に苦しんでいるアメリカ人女性が、「普通」の日常生活を送りたい、「普通」に仕事に生き、「普通」に恋愛をしてセックスをしたいともがき続ける日々をつづった、ノンフィクション・エッセイです。

命に直結する病ではないものの、日常生活を送るには困難を極める、知られざる痛みや不調に、日々苦しんでいる人がいる。そう、想像してみたことはありますか。今こそ自分自身の身体について周囲に話し、知ってもらう時だと感じます。なにも婦人科系疾患に限ったことではありません。性別を問わず、不調な時は不調だとお互いに分かり合える社会になれば、我慢せずに弱音も吐きやすく、支えあって生きられるのではないでしょうか。

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まえがき ようこそ、ヴァギナ・プロブレムの世界へ 

文:ララ・パーカー 訳:森優里

 わたしがヴァギナの不調を初めて経験したのはわずか14歳のときだった。生理はすでに始まっていて、生理痛もあった。痛みは腹部全体にあったが、特に下腹部とヴァギナのあたりに強い痛みがあった。普段から痛みがあり、生理の前後はひどかった。ただ、初潮が始まる前に生理のことを教わっていたとしても、そこまでのこととは聞いていなかった。

 とりわけ、男子生徒の前でそこまでの話はしない。いきなりすさまじい痛みと共に生理が始まったが、わたしはひたすら痛みを無視しようとした。友達からはめったに生理痛の話など出ないのに、わたしは毎月生理がくると吐き気がしたり、貧血になったり、学校を休んだり、1週間ぼろぼろの状態で過ごしていた。なぜ自分だけがそうなるのかその理由がわからなかった。あの頃わたしは、みんなも同じ思いをしているけれど、みんなは自分より平気なふりをするのが上手なだけだと自分に言い聞かせていた。普段からずっと下腹部に痛みがあるのは気づいていたが、そのことを人にどう話せばよいかわからなかった。勇気をふりしぼって医師にその症状を訴えたこともあったが、その女医さんはわたしの話を一蹴した。「生理は痛いものです」と。その言葉を聞いて自分が愚かに思えた。それで、自分が身体に感じている痛みは正常なもので、ただ、自分はそういうことに無知だっただけだと考えるようになった。
 それから数年が経ち、初めて性行為に及ぼうとしたとき、ものすごい痛みに襲われた。すさまじい激痛だった。酸に浸けたナイフでヴァギナをえぐられたような気がした。それでもまだ、それが正常なことだとわたしは思っていた。高校時代、友達がセックスというのは痛いものだと話していたから。まるで、それが万国共通の暗黙のルールであるかのように。大人になって初めてセックスをするという女の子に、それがどんなに痛いか教えてあげるのが常識だと言わんばかりに。それから数年後、わたしは意を決してふたたび挑戦した。発狂しそうなぐらい痛かったが、それでもまだ自分は正常だと信じていた。自分が感じている痛みなどたいしたことではないのだと思い込もうとしたが、頭の隅では、自分はどこかおかしいのではないか、身体の中で異変が起こっているのではないかというささやく声がいつも聞こえていた。それで、再び医者の元を訪れたが、今度は、性行為に恥ずかしさを感じているだけで、初めのうちは痛いものだからオイルでもつけておきなさい、と言われてしまった。そう言われてしまってはなすすべがない。

 それはただの始まりにすぎなかった。自分の身体の不調の正体を突き止めるまで7年の歳月を要するとは夢にも思わなかった。自分の身体にこれほどの痛みをもたらす原因に対して納得のいく答えを得るために、これまでわたしは何人の医者にかかり、どれだけの診察料を払い、どれだけ答えがないと言われてきたことか。それだって、何度も手術を受けたり何人もの医者から診断を受けたりするだけのお金を誰もが持っているわけではない。
 子宮内膜症の診断を受けるまでに平均7人から10人の医者の元を訪れている。そうして、ようやくその診断が出ても、治療法の選択肢は数えるほどしかない。それも、相当な費用がかかるか、あるいは、ひどい副作用があるか。いずれにせよどの治療法でも完治までには至らない。そろそろヴァギナの不調について率直に話をしてもよい時期ではないだろうか。

 だからこそわたしの出番なのだ。わたしは自分の症状を充分にわかっていて、それを話題にすることにも抵抗がない。ヴァギナの不調が日常的になったのは覚えているかぎりで10年以上になる。しかも、この痛みから解放されようとありとあらゆることを試して、それでもまだ痛みは改善されていない。いまだにわたしがヴァギナの話題を持ち出すと嫌な顔をされる。バイアグラはいまやすぐに保険が適用される。かたや、ヴァギナの治療のための理学療法は、保険を適用させるために背中の治療と偽らなければならないこともあるのだ。しかも、この症状には有効な治療計画がまだひとつもない。わたしと同様の症状を抱えながら生活している人は大勢いる。しかし、引け目とか恥ずかしさとか認識不足のせいで、そのことを話題にしたり、一般的な病気という認識を持たせたりすることにみんなが抵抗を感じている。

 この本を書きたいと考えた主な理由のひとつは、最初に自分のヴァギナの不調に気づいたときにこういう本が手元にあればよかったと思ったからだ。このテーマを扱った書物はあっても、わたしが見つけたのはほとんどが医療の専門家によって執筆されたものか、あるいは、医療研究に基づいて書かれたもので、医療用語が多すぎて内容がほぼ理解できなかった。その手の書物も需要はあるし、時には役に立つこともあるが、わたしが求めていたものではなかった。わたしに必要だったのは、こういう悩みを抱えているのは自分だけではないと教えてくれる本であり、これほど辛い思いをしているのだから取り乱してもいいのだと言ってくれる本だった。「いいからこうしなさい。そうすれば、よくなるから」と言われるのはもうたくさんだった。「大丈夫、苦しいのはあなただけじゃない。辛いでしょう、気の毒に。その苦しさを共有しましょう」と、言ってもらいたかったのだ。

 ヴァギナに不調があると、他のことを考える余裕がなくなる。正直なところ、他のことなど考える必要はないと思う。これはさまざまなヴァギナの不調を経験してきたすべての人々のための本だ。わたしはみんなの声に耳を傾けるし、みんなにちゃんと目を向ける。そして、わたしはみんなの言葉を、信じる。

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《書誌情報》
『子宮内膜症で痛すぎてセックスも満足にできない女子が、毎日闘いながら生きていく話 愛と欲望とヴァギナ・プロブレム』
ララ・パーカー 著 森優里 訳 さいとうすず イラスト
四六・並製・336頁
ISBN: 9784866471655
本体2,200円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK309

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