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キレイにするということは、汚すということ   (徳島宿プロジェクト)

いきなり何言ってるの?・・・と思われるかもしれないが、
簡単にいうと、うんちを流したり、じゃぶじゃぶ洗濯をしたり、ゴシゴシ体を洗ったりすると、一方で汚れた水が出来てしまうということ。

普段こうした水はありがたいことに、あっという間に目の前から姿を消してくれるけれど、この世から無くなってしまう訳ではない。何かをキレイにすることで汚れた水が、巡り巡って海へと繋がっているという事実を、鳴門で暮らし始めて、よりリアルに感じるようになった。これは宿プロジェクトを進めていく中で、身に染みて学んだことでもある。

鳴門の倉庫にきてすぐの頃、近所のお婆さんたちが、毎朝台所の三角コーナーを手に防波堤にやってきては生ゴミらしきものを海に投げていることを知って、あまり気持ちの良いものでは無いな・・・なんて正直思っていた。

ある時、お婆さんが投げたゴミを野良猫がむしゃむしゃと我を忘れて食べているところに出くわした。さらに海にこぼれたゴミには魚たちが群がっている。

何か美味しそうなものでも混じっているのかとよく見てみると、その生ゴミは全てが野菜の皮や屑、魚の骨や頭、しゃもじやお茶碗に残った米粒や出汁殻など。
そこに油にまみれた残飯なんてものは混じっておらず、ちゃんと生き物を無駄なくいただいた上での余りものだけを集めたものだと知った。

それは、僕たちが毎日何も考えず排水口に流しているものとは、
明らかに違うものだった。

実は徳島県は、全国で最も下水道の普及率が低い。鳴門市に至っては10%程度だ

都道府県別の下水処理人口普及

下水道の普及率が低いからダメという訳ではない。
鳴門市は海に囲まれ、川の流域に市街地が形成されており、人口密度に比べて水量が豊富で美しい水環境を有していたため、昔から、排水を海や川に直接流してきた歴史がある。(もちろん各家庭には浄化槽が有り、キレイにした水を流している)
そもそも、下水道の歴史はたかだか50年ほど、住宅もまばらな地域では費用対効果が悪くなってしまうという難点もあるにはある。

何も知らないと、海に排水するというのは野蛮だとかと思ってしまうけれど、ちゃんと浄化槽を有した上で、油や薬品的なものをなるべく汚水に混ぜないようにして排水する。目の前の海に流すからこその責任。

そんな思いをどれほどの都市生活者が持っているだろうか。

宿を始めるにあたって、この汚水に関する届出を2つ行うことになった。
一つは保健所に出した水質汚濁防止法に基づく届出。そしてもう一つが建設局に出す地元漁業組合の排水同意書。

なんとか1つ目をクリアして、2つ目の漁協を訪ねたのだが・・・

「漁師にとって、排水というのは海の環境を左右する最もナーバスな問題。いくら小さな宿が出す排水といえども、組合員全員の賛成がなければ同意書は出せない。役所の決定であれば従うので、役所と相談してそちらでクリアしてほしい。」と組合長に言われ、すごすごと引き返すことに。これが前回の記事で触れた大人の階段上級編の全貌でもある。

たかが簡易宿所の排水で、何故そこまでややこしい話になるのか、保健所的には問題ないレベルの排水だと認められたというのに。ずっとモヤモヤとするものがあったのだけれど、たとえ民泊というレベルであったとしても、ことこの排水に関しては巨大ホテルや施設と分け隔てしない、それが海と共に生きてきたこの町の在り方なんだ。

海から見た宿予定地の倉庫

設計事務所の方が、元々倉庫が建てられた時にどうやって許可を得たのかを調べて下さったところ、排水場所不明のため自己責任で排水するという念書で建設局が建設を許可したということがわかり、同じような処理を辿ることで漁連の同意書無しでクリアできることに。これって、建設のための苦肉の策だったのかもしれない。理由はどうあれとにかく助かった、これで宿プロジェクトを継続できる・・・。

清潔を声高に叫ぶ世の中は、海への負担を高める世の中でもある。


毎朝、海にやってくるあのお婆さん達のように
なるべく汚れないように、キレイにする。
そして、その先に繋がる海を思い浮かべる。

それが、最も身近なSDG'Sなのかもしれないな。

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