脆い世界
授業時間だというのに、──否、授業時間だからこそ私は非常階段にいて、極力音を立てないように、ゆっくりと一段一段を踏みしめていた。
この時間に校内で鳴り響く音、というか声は限られている。一番大きく響いてくるのはグラウンドからの声で、スポーツのできる人間とできない人間がごちゃ混ぜになり、主にボールを追いかけて走り回っているという光景が見える。
もちろん、そこから聞こえてくる声のほとんどはスポーツができる人間だ。なぜそれがわかるのかといえば、ここから声の主が区別できるというわけではない。根拠の無い経験則によるものである。
また違う種類の声としては、この学校内にいる人間全体の比率としては少ないはずの大人の声。どうやら仕方ないながらも偉そうな講釈を垂れているようで、教室内には大きく、それから長い廊下内には小さく、惰性と諦めとして響いている。時折熱意のある声もあるけれど、それはどれも真新しい声ばかりで、おそらく三年も使い込まれていない、拙くて虚勢を張った声だ。
上手く噛み合っていないはずなのに噛み合ったように見せかけられたシステム。呑まれた髪型の男女はシステムに噛み合っていないが故に、その綺麗な体に傷が付いていっている。けれど、その傷は、抑圧という手段によって誤魔化されている。
そしてその傷を癒すために、その子達は人を求める。その結果として友人が得られれば良いけれど、この閉鎖された空間では仲間ばかりが点在している状態なのが実状だ。
仲間といると息が詰まる。
私でなくてもいいような、私が認められないような、仲間から外れないようにすることに躍起になるような、笑顔を作って空気を保つような、そういった、自分ではない違和感を奥底で閉じ込めていく集団が仲間だ。
少なくとも私にとっての仲間はそういうものだ。だから私はその息苦しさから逃げて、今非常階段まで逃げている。
校舎裏に回らない限り、誰にも見られないこの場所は、私のお気に入りに場所だ。
──カンッ……カンッ……。
「さてと」
非常階段の一番上の踊り場に辿り着くと、私はそこで、タオルに包んであったガラス製のコップを鞄から取り出した。それを下に置いて、今度は冷えた麦茶の入った水筒を取り出す。
ゆっくりと注ぐ。ゆらゆら揺れながら水位が増していくコップに西陽が煌めく。
美しい茶色の風景が向こう側に見えて、違う世界を夢想した。それを通して見える建物には人がいなくて、楽園のように思えた。
けれど、そうやって惑っていると、お茶パックの繊維の隙間を抜け出した茶葉が浮いているのが見えた。そこで現実に戻ってしまう。
落差に落ち込んだ後、まだ熱の抜けきっていない建物の壁の熱と、西陽の直射の熱を両側で感じながら麦茶を飲んだ。
世界を取り込めたら、なんてことを考えた。
生きているだけでいいや。