無小─縋り
コンコン。
僕は深夜のファストフード店のドライブスルー用のガラス扉を叩いて店員を呼んだ。
すぐに駆けつけた店員は怯えた表情で、恐る恐る僕に要件をたずねた。
「注文です。なんでもいいんでセットを一つ。お金は気にしなくていいです」
僕は用意していた台詞を吐いた。店員は先程の怯えに困惑が混じった表情になった。僕はそんな店員などお構いなしに、商品が届くまで壁にもたれかかって待つことにした。
ポケットから吸ったことのない煙草とライターを取り出す。さっきコンビニで買ったものだ。
僕の煙草を買うのに慣れていない様子を見たからか、コンビニの店員は僕に身分証の提示を求めた。舌打ちをした後に僕は学生証を出して二十三歳だと証明した。
煙草は買えたけれど、あの最悪なコンビニ店員のせいで気分は最悪になった。
煙草を吸うとストレス発散になるだなんて友人が言っていたものだから、コンビニを出てすぐに吸ってみようかと思った。けれど、箱を開けただけでなんだか気乗りしなくて、そのまま箱を閉じてポケットにしまった。
「お待たせしました」
ファストフード店員が茶色い紙袋を持ってきた。さっきの怯えていた店員ではない。代わりに物怖じしなさそうな体の大きな男性店員になっていた。どこかに行ってしまったあの店員はきっと最悪の店員だ。
支払いを済ませた後、僕はそのまま歩きながら袋から名前の分からないバーガーを取り出して食べた。渡す時に商品名を言っていた気がするけれど、忘れた。
ともかく、これがなんであるかは分からなくても、隣に誰かがいれば「うまいな」と言いたかった。
でも誰もいないから最悪だった。
安い電球一つに照らされた部屋に帰ると、僕は無料で読めるマンガだけをスマホで読み始めた。低評価をつけたやつのレビューには「何が言いたいのか分からない」と書いていた。
僕は嬉しくなった。この低評価をした人間を見下せば生きていけるからだ。価値が分からないなんてバカだと言ってやればいい。
僕はこの作品を素晴らしいと思っている。レビューは書かない。
僕にとって明日死ぬことと今日死ぬことに差はないし、10年後であっても今死ぬことと同じだ。それなのに今すぐその命を断たずに僕は何をしているんだろうとふとした瞬間に考えるけれど、大抵は最後まで答えが出ずに眠りにつく。
ずっと高校を卒業したら死のうと思っていた。それなのにここまで生きてしまっているから、僕は僕をその時点から見下し続けている。僕は僕に「しぶといな」と言ってやってるんだ。
この希死念慮の源泉は多分罪悪感だ。人と関わると必ず僕は罪を重ねてしまっていることを自覚する。この罪悪感に押し潰されて「ごめんなさい」と最後に呟いて消えてしまおうと何度も思った。辛い現状から逃げたかった。
逃避のために何もかもを忘れてしまいたいと考えることもあったけれど、だからといって僕の体はそのために誰かと体を重ね合わせる行為をしなかった。その行為を神聖視するのと同時に汚物のように扱っていたからだ。触れる前に拒否反応が出てしまっていた。
けれど、少し前に自分を置き去りにすれば拒否せずに済むのだと思うようになった。欲求は体に任せて、心は誰かに委ねる。そうすれば僕は死なないで済む。
けれどそれが勘違いだったのだと手遅れになってから気付いた。
こうして取り返しのつかない人間になってしまった僕は、徐々に生きるだけの行為を疎ましく思うようになった。朝のゴミ捨てもそうだし、食事なんて最悪だ。何を必死に生きようとしているんだと自嘲する。
こんなことを、ついさっき読んだ漫画に感化されて考えた。
僕はスマホを閉じて、安いアパートに付いている安い電球の明かりを消した。
カーテンの隙間から見える街の灯りが眩しくて眠れない。でもその隙間を閉じれば、僕が世界からいなくなるような気がしてできなかった。
明日も何も救いのない人間と会うはずだ。お互いを刺激し合うこともない、現状に安心するための仲間だ。一緒に同じことで笑って同じものを軽蔑する。そんな人間に会うんだ。
できればこのまま眠って二度と目を覚ましたくない。最後の鼓動を記憶に焼き付けて停止したい。笑って平気なふりをする毎日を送るくらいなら、僕はたった一つでいいから強く刻みつけられるようなことをしたい。
こんな望みを的外れな方法で叶えようとしたのがさっきの煙草とドライブスルーだった。何も満たされやしなかった。
八つ当たりされた店員さん達には申し訳ない気持ちになってしまった。僕はまた間違えて、罪を重ねてしまった。
明日からまた罪を贖う日々だ。僕が生きる理由はそれだけな気がする。
まず起きたら二軒のお店に寄って丁寧な受け答えで商品を買おう。
生きているだけでいいや。