こちとら“膝から崩れ落ちるオタク”を見にライブ行ってんだ

大小様々なライブが中止になったり延期になったりして、
代わりに、映像やオンラインイベントを楽しむ機会が増えました。

そんな今こそ、私(現場を愛する一介のオタク)は、大好きな「ライブ」というものについて書こうと思います。

業界応援というには流石におこがましいのだけれど、
「今、私はこんなにもライブが好きなんだ!という主張をどこかに残しておきたい」
「無観客ライブ等々、新しい形のコンテンツを見せようとしてくれてありがとう、こちらも楽しむ努力をしなきゃ」
という気持ちから、文章にしてみます。

過去にブログで書いた話や、ことあるごとに友人知人に力説している話を改めて文字にしただけの記事です(いつも同じ話ばかりしてすみません)。


(私にとって)ライブの良さとは

そもそも「ライブ」とは、音楽を録音・録画で楽しむ技術が発達したときに、逆に生演奏を指す言葉が必要になって生まれた言葉、
いわゆるレトロニムだそうで(Wikipediaより)。
確かに遠い昔には生演奏しか存在しなかっただろうな……。

それはさておき。

以前の私は、しょっちゅうライブに行っては推しに会う生活を送っていたのですが、
ここ数ヶ月ぱったりとライブがなくなったおかげで、不思議な感覚に陥っています。

なんというか、自分の「ライブが好き」という気持ちは
単に「推しに会えるから」というだけではなくて、それ以上の、生演奏ならではの楽しみがあったんだなぁ……という気付きがありました。

ちなみに推しについては、
しばらく推しに会えてはいないけれど、推しへの想いは変わらず大切に持ち続けているよ……
というキモい誇らしさすら生まれています。

それはさておき、ライブは恋しいです。とても。

大まかに言うと、ライブの「リアルタイムであること」と「観客がいること」の2点が恋しいのだと、そんな話をしていきたいと思います。


リアルタイムであること 〜推しと、自分と向き合う時間〜

私はライブがなくなって、一番は「自分と向き合う時間」が減ったように思っています。

何?重くない?という感じなのですが、
ライブというのは私にとって、自分と向き合う気力と時間を用意してくれる場所だったのです。きっと。

そもそも私は、集中力がマジでありません。
動画だと結構飛ばし飛ばし見てしまったり、ながらで見てしまったり。
好きな音楽を聴いていても、作業用BGM的というか、1曲まるごとビッチリ集中して聴き切るということは正直少ないです。

でも、ライブには「この一瞬は今しかない」という緊張感があります。リアルタイムで、シークバーもなければ巻き戻しもできません。

だから、食い入るように観るしかない。
そのような(例えば1曲分の)集中した時間は、色々なものを想像させてくれます。

1曲通して歌詞に込められたストーリーを味わったり、曲の中に推しの歩んできた道を想像したり、自分の人生の意味を照らし合わせたり、夢や理想を思い描いたり。

ライブ会場では、それらに向き合い疲れても
やーめた!(全てを忘れて寝転がる)
みたいなことが簡単にはできません。

何より、目の前で、歌や何かを魂を込めて披露している人がいるわけで。
曲が、公演が続く限り、色々な思いを受け取らざるを得ないのです。

そんな逃れられないリアルな時間が流れているのは、やっぱりライブならではだなぁ、と感じます。


あと、映像には残らない、絶対にライブにしかないものがあります。「開場前」「開演前」「閉演後」の時間です。

会場への移動時間や、腹ごしらえ、コインロッカー探しなんかもワクワクしてめちゃくちゃ好きなのですが、

特に、開場〜開演までの1時間とか30分の、客入れBGMを聴きながら、一人だったら周りが喋っているのを横目にぼんやりせざるを得ない、あの「祈りの時間」。

無駄な時間と言えばそれまでなのですが、
これから超楽しいことが待ち受けてるぞっていう時間が、好きじゃないわけないんですよね。

ライブに伴う全ての時間が、今は愛おしいです。


観客がいること 〜感情の最大値が上がる〜

みなさんは、膝から崩れ落ちる人間を見たことがありますか?

私は「ずっと聞きたかった曲のイントロが流れた瞬間に綺麗に膝から崩れ落ちるオタク」なら目にしたことがありますが、
逆にライブ会場以外では見たことないです。

ライブ会場のオタクは、たいてい情緒がハチャメチャですし、それを見て分かる形で表に出します。
(例:光る、叫ぶ、号泣する、飛び跳ねる、回転する、走りまわる……)

自分一人では、こうはなりません。私はね。

でも、ライブ会場では皆一様に狂っています

だから「ああ、ここでは安心して狂える」と、感情のリミッターを外せるのです。


私は、ライブを趣味にするまでは
自分がこんなに感情豊かな人間だと思っていませんでした。

あと、こんなに大きな声で叫べる人間だとも思っていませんでした。
こんなに拳を振り回し続けられる人間だとも……。

もちろん、推しはいつでも最高最大の感動をくれるわけですが、
ライブの場がくれるのは、ゲームで言うところの「最大HPが1上がった」状態です。

自分の限界値だと思っていた感情を上回る感動を味わえるのは、
きっと観客の熱気があるからなのだと思います。


以上を踏まえて 〜今、無観客ライブを楽しむススメ〜

無観客ライブというものが増えました。

地理的・身体的条件に関わらず楽しめますし、「現地に行くほどでもないけど……」な人にも勧めやすいのは、ありがたいなぁと思います。

無観客ライブや映像配信等々、一時のブームで終わらずに続いていったら嬉しいなぁという気持ちもあります。
(もちろん大変なのだとは知っていますし、もっとお金を得る手段が確立されてほしいです)


私が思うのは、無観客ライブをより特別な体験として楽しむ方法って、リアルライブの経験にヒントがあるんじゃないか、ということです。

リアルタイムで、一周は巻き戻し厳禁で観る。
セトリを予想したりレポを書いたり、前後の時間も楽しむ

同好の士と同時視聴したり、他の人の感想を検索して読んだり、自分の感想をコメントしたりして、感動を共有する

ついでに言うと、
グッズを買うなどで推しに貢献したり、巡業場所にお金を落としたりと
少しでもたくさん経済を回せたら最高ですね。

慣れない状況の中で、何とか楽しいコンテンツを提供してくれている作り手側の方々のことを思うと、うかうかしてはいられません。

全力で楽しみたいものです。


話は少しズレますが。
個人的に、自粛以降の音楽の聴き方で一番「ライブっぽい味わい方したな」と思ったのは、
「帰り道の電車でスマホの充電が切れて、暇つぶしも万策尽きた頃、
鞄の底から普段は使ってないiPodを引っ張り出してシャッフル再生にしたら、偶然好きな曲が流れてきたとき」でした。

今、ここには音楽しかない」という空間、
そして予想を超えてくる選曲

日常の中に、突然ライブのような音楽の流れ方が発生した瞬間。
一人で勝手に感動してしまいしました。

ライブに限らずですが、偶然や自分の工夫で「非日常」にときどき身を置くというのは
やっぱり素敵なことだなぁ、と思います。


おわりに(決意)

いざライブのない生活になってみると、ライブのありがたみがしみじみと感じられました。
そして、改めてライブの楽しみ方について振り返るきっかけにもなりました。

「初心忘るべからず」とも言いますね。
初参戦のときのことを思い出してみます。

知らない曲ばかりでノリがわからなかったり、
めちゃくちゃに緊張していたりはしたけれど、

ものすごく気合いを入れて行ったと思います。

当時は滅多に行けなかった分、すごく大切な1日で、自分で書いた感想を何度も読み返してはニヤニヤしていました。

近年の私は、ライブに行きすぎている……というか、参戦の場数を踏むにつれて、ひとつひとつのライブのありがたみがどうしても薄くなっていました。

ライブ自体の“良さ”は毎回ベストを更新し続けていると感じているのですが、
家を出る瞬間から覚悟を決めて向かうようなことは減ってしまっていました。

近年、毎回の心構えをしっかりできるほど時間がなかったのは確かですが、
今となっては、もったいないことをしたなぁという気持ちです。

ライブがなくなって改めて、
「ああ、次のライブは本当に大切に味わおう
と新鮮な決意を手にすることができたのだと思います。

次にライブに行けるときには、
またひとつ、大事な思い出が増えるはずです。

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