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キミはどっち側?

一郎は自身の半生を振りかえりながら思った。
「なかなか思い通りにならないものだ…」

経済苦、病苦、人間関係の悩み…

生きていれば何かしらある。

まわりを見ればこれらの苦しみが比較的少ない人もいる。苦しみを乗り越えた人もいる。悠々自適の現実を満喫している人もいる。

人と比べる事でしか感じる事のできない幸福感、人と比べる必要のない幸福感。そういうのがあるのは、わかっている。

40歳半ばに差し掛かろうとしている。このままではいけない。何かを達成しなければ…そんないいようのない焦燥感を時折感じていた。

この焦燥感はまやかしなのだろうか?
意味あるものなのだろうか?
向上心からくるものなのだろうか?

何かに特別詳しいわけではない、何かの第一人者というわけでもない。
敬愛する人生の師匠がいるわけでもない。特定の技術において師匠と仰ぐ人から学んだわけでもない。

「自分以外皆師」。そういえばカッコよく聞こえるかもしれないが…

皆師って 師匠多すぎない?

それでも一郎は学びを続ける。

でもなんの為に学ぶんだ?

この現実に対して「何か」をしたいからだ。

この現実で、「何かできるはず」と希望を持っているから?

いや むしろ 失望している。

人と人が分かり合えない事に対する底が見えない失望。

表面的にはわかり会えたふうに見えていても、深く掘り下げていくと、ほぼ確実にわかり会えない場所に到達する。

これは、あたりまえなのかもしれない。人は皆それぞれ違う価値観をもっている。

人と人がわかりあえていないと、暴力を含んだ争いに発展する事もある。

この現実では、そんな争いがどれだけ多いか…

「人間」という生き物は実に多様だ。
これって考え方次第なのかな…

結局は、自分がどういう世界を信じているかということなのか?

例えば…

この現実が良くなっているという理由を100個探す。

これは、希望に満ちている。

この現実が悪くなっているという理由を100個探す。

これは絶望に満ちている。

どちらも同じ100個である。

もしかしたら現実は、一歩一歩良くなっているのかもしれない…

もしかたしたら現実は、救いようのないぐらい悪くなっているのかもしれない…

もしかしたら現実は遊ぶ所なのかもしれない。

もしかしたら現実は苦しむ所なのかもしれない。

結局は「どちら側で生きるか?」という事なんだろうな…

希望を選び続ける事は簡単な事じゃないけど、それでも希望を選ぶんだ。

なぁ…君はどっち側なんだ?

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