入院日記

かくかくしかじかでこのたび二泊三日の検査入院をしてきた。

ここ1、2年、厄年のせいなのか手を変え品を変えころころと様々な病気になり、それはまるで彼氏の途切れないモテる女の子みたいだと自虐も込めて思っていて、入院も、この2年足らずでもう3回目であり、しかも全部違う病院だったので、それはそれでなかなか興味深い体験であった。

ここ最近、久しぶりに仕事が忙しく、朝から出勤して夜まで休憩が取れないとか、休日もなんだかんだ職場に行かないといけなかったりと、まあまあ体力的に疲れてもいたので、この検査入院でいっぱい休もうと目論んでいたのだけれど、なかなかどうして病院とはそんなにリラックスも出来ないところなのだなと思った。
病室は4人部屋で、私のほかに、明日手術の人と、毎日リハビリをしている人と、何か分からないけれど具合が悪そうでずっと苦しんでいる人の3人がいた。顔の見えないその人たちの出す音や声が代わる代わる聞こえて、私はひとりカーテンの中で、世間話や、いびきや、うめき声を聞きながら終始うとうとしていた。
基本的に私は普段から、過眠症だとかそういう類の病気なんじゃないかと思うぐらいよく寝てしまうので、ほっておいたら休みの日もずっと寝られるのだけれど、病院では、うとうとして寝付けたと思ったら、日中は看護士さんに呼ばれて起こされ、先生に呼ばれて起こされ、夜は隣の人のいびきで目が覚め、ナースコールで目が覚め、でも寝つきが良いのでまたすぐ寝て、短い夢を見ては起き、夢うつつで何が現実で何が夢か分からずごちゃ混ぜになった頃に2日目の朝が来た。

今回の検査入院は肝生検という検査をやる為で、脇腹から肝臓に向かって針を刺すのだが肝臓の周りには太い血管が多いし、大量に出血して亡くなってしまったケースもあったから、やらなくて良いならやりたくないんだけど‥と、主治医の若くて可愛い先生に事前に言われていた。いやいやなんでそんなこと言うんだよと思うのと同時に、そうなったらなったで、それもまた運命だと思うようにしなければと思って臨んだ。実際の検査は、事前に痛み止めだと言って点滴から入れられた薬で意識がぼんやりして、ぼんやりしている間に終わってしまい、検査後も出血を止める為に6時間寝たきりだったのだけれども、それもぼんやりしている間に終わってしまったのでとてもほっとした。

寝たきりの最後の1時間、寝たままごはんを食べて良いとのことで、寝転がったまま食べられるように、酢の物も、豆腐ハンバーグも、煮物も、全て楊枝に刺してくれており、その手間に感動してしまった。実際、寝転がったままだと全然胃に食べ物が届いていく気がせず、ほとんど食べられなかったけれど。

去年くらいからこんな風に色々と病気になり始めて、難病と言われている類のものだから一生付き合っていかないといけないよと言われて、私は未来のことがうまく考えられなくなってしまった。
そこまで悲観的になっているわけではないし、難病といってもうまく付き合えば日常生活は健康な人のそれと変わらない暮らしが送れる期間もたくさんあるのだけれど、それでも、何年後にこうなっていたいだとか、夢とか、目標とか、先を見据えて考えるということの、やり方がよく分からなくなってしまった。
まだ私が健康な頃に上司が、上に立つ人間は、会社の5年先、10年先のことを考えられる人間だと言っていて、ふむふむと聞いていたのだけれど、今は自分の1年後のことを思い描こうとしても、思考回路のシャッターが閉まってしまったようになって、何も想像出来ずにいる。
なので仕方がないので、ただひたすら目の前にあることだけを考えるようになった。基本的に今私の人生でやらなければいけないことは仕事くらいなので、とにかく今日、明日中にしないといけないことのみを考えるようになった。それは逆に、目の前のことに集中するという意味では効率がよかった。辛いことがあっても、先が見えないことで逆に割り切って頑張れたりした。今日体調が悪いな、疲れたな、休みたいなと思っても、でも別に今休んだところで、先に何が待っているわけでもないんだし。と思って逆に頑張れるという、驚きの効果を生み出したりした。
ただ、周りの人に、この先どうするの?とか、将来頑張って出世しなよ、などと言われる時だけは思考が止まって何も考えられなくなった。なので、頑張りますとだけ言って、極力何も考えないようにしている。本当のことを話して、長い話になるのも、諭されるのも、否定されるのも今はきっと受け止められない。

というような、普段意識しているようでしていないことが、入院中淡々と浮かんでは消えていった。

同室の、手術を控えていたらしいおばさまは、私の入院中に無事手術を終えたようだった。ここの病院の先生は「がんばろうね」という言葉をよく使うみたいで、その人の手術前も、何度か「〇〇さん、明日がんばろうね!」「〇〇さん、今日はがんばろうね!」という言葉が聞こえてきていた。
「無事終わったけんなぁ、家に帰れるんが楽しみや」
おそらく手術後、その人が電話で誰かとそう話す声が聞こえて、顔も知らないその人の、手術の成功に私もほっとして、家に帰るのが楽しみという未来の言葉が、とても素敵だと純粋に感じる事が出来た。

若い頃は、先のことを考えるのがこんなにエネルギーのいることだとは全然分からなかった。もし私がまた、この先のいつかの未来のことをキラキラしたものとして思い浮かべられるような日が来たら、それはまた今までよりもっと大きな意味を持って私の力になってくれたりするんじゃないのかな。そのおばさまの声を聞きながら、そんなことを思ったりした。

この調子で次々と病気になり続けたらそんな日が来るのかどうかも分からないけれど、逆境でしか見えない景色があるのならそれを見ておきたいとも思う。
先が見えないのなら尚更、できるだけ明るくしていたいな、しないといけないな。と思っている。

でもきっとまたそのうち、死にたくなるような夜もやってくるんだろう。それらをひたすら繰り返して、その中でふと訪れる幸せを拾いながら、また1日1日をやり過ごすのだ。

せわしない日々の中で、そんな風に気持ちの区切りがつけられた三日間だった。物事には全て意味があるというような考え方はそんなに好きではないけれど、自分の中で意味を持たせられたら、それもまた良し。なのかもしれない。

#日記 #入院

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