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「蛇にピアス」を観て思い出したこと

最近日々の生活にゆとりがあるので、映画を次々観ている。

「蛇にピアス」は、2004年の芥川賞受賞作であり、作家金原ひとみさんのデビュー作でもある。当時、綿矢りささんの「蹴りたい背中」とWで芥川賞受賞だったこともあり、ちょっとした話題になっていたのだった。
原作は、受賞後割とすぐ読んだ。なにせ14年も前のことなので、ざっくりしたあらすじは覚えていたけれどもその時自分が読んで何を思ったかなんていうのは全く覚えていなかった。映画化されても、吉高由里子さんが好きなのでずっと気にはなっていたけれど、悩んでは借りず、悩んでは借りず、の繰り返しで約10年である。時の流れはほんとうに容赦がない。
ストーリーは、吉高由里子演じるルイちゃんという女の子が、スプリットタンという、蛇みたいに二つに割れた舌を持った(生まれつきではなく自分で改造していったのである)男の子と出会い、それをきっかけに自分もずぶずぶと肉体改造にはまってゆく物語である。まあ、まあまあ、まあまあ過激な映画なので、これR18じゃなくて15でいいんだな、世の中ってすごいな。と思いながら観た。

「あたしタトゥー入れようかと思ってんねんけどさ、一緒に行かへん?」

昔、そう言って何度か友達に誘われたことがあった。

と言っても、彼女たちが言っていたのは龍!だとか仁王!などではなく、星とか、蝶とか、ガーリーでかわいいデザインだったと思う。そもそも刺青というのは和彫りで、タトゥーというのは洋彫りで、この二つは別物なのだというような話もその頃聞いたことがあったけれども、うろ覚えでなんとなくしか覚えていない。

なんでタトゥー入れようって思ったの?

私のその問いかけに、彼女たちはこんな返事を返したように思う。

『生きてくために、何か支えになるものが欲しいと思った。』

自分と同い年の子が言ったその言葉に、当時の私は胸を撃ち抜かれてしまった。

世の中の、刺青やタトゥーを入れている人たちが、みんなそんなふうに思って入れているわけではないと思うけれども、あの頃私の周りにいた女の子たちは、そんなふうな子が多かった。明るくて、オシャレで、たまに派手な遊びもして、自由で、怖いもの知らずで、でもその中に、人に見せない不安や、生きづらさも抱えて、
いや、けれども、そんなのはみんな一緒で、みんなそれぞれに生きづらさを抱えて生きているのは当然だ。ただその生きづらさを昇華する方法が、自分に痛みを与えるところに向いてしまった女の子たち。

「タトゥー入れようよ」と誘われても私は、温泉にいけなくなるのが嫌だというとてつもなく平凡な理由で断った。でもその代わり、当時ピアスの拡張はしたいと思っていた。結局穴をあけた時点でえらく膿んでしまったのであきらめたけれども、穴を広げる痛みと引き換えにして、堂々として生きられる自分みたいなものが手に入るような気がしていたのだった。

蛇にピアスという映画のなかで、ルイが情緒不安定になる度に舌にあけたピアスを無理矢理拡張しているところを見て、そんなことを思い出していた。

タトゥー彫ろうよ、と誘われたのとは別の時期に、私はある男の子と出会った。その子は、私が今まで出会った中で間違いなく1番のいじめっ子だった。ガキ大将的ないじめっ子ではなく、変に頭が良くて、そのうえ性格が悪いので、えげつないいじめ方をあちこちでしている子だった。私も例に漏れず、彼の被害に遭った時期があって、でも常に変化球を投げてくるので、直球しか投げられない私は喧嘩をするにも仕方が分からず途方にくれてしまっていたのだった。
ある時、私はその子の好きなマンガがONE PIECEだということを知った。
意味が分からなかった。なんで、あんなONE PIECEみたいな真っ直ぐな正義の味方が主人公のマンガを読んで、なんでおまえは人に対してそんな態度ばっかりとってるんだ。もう本当に、全く意味が分からないと思っていた。
今思えば、彼には彼の正義があって、彼には彼の生きづらさがあって、ただそれが彼の場合、他人への攻撃に向いてしまっていたんじゃないのかな。分かったからといってもうどうにもならないけれども。

結局あの頃タトゥーを入れたいと言っていた彼女たちが、本当に彫りに行ったのかどうかについては思い出せない。
けれど、私は、一見不安定そうに見えても、自分の力でしっかり立とうとしている彼女たちが好きだった。

もう連絡をとることもなくなってしまったけれど、悪い話も聞かないので、きっとどこかで元気でやっているんじゃないかな。
そうだといいな。

#日記 #映画

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