自由研究

夏休みに入ってしばらく経った8月12日、私は友達と朝から映画に行ってごはんを食べて遊んで、と、絵に描いたような気楽な夏休みを過ごしていた。本日封切りの夏休みの目玉映画は期待以上に面白くて、興奮冷めやらぬまま帰ってきたら双子の弟が縁側で宿題の自由研究をやっていた。

私はそれを見てふと立ち止まる。私が家を出たのが朝の10時で、その時点で彼はすでにそこにいたように思う。今が夕方の6時半なので、ずっとそこで宿題をやっていたのだろうか。いやまさか。
そう思って、私は弟に声をかけた。
「ちょっと、あんた朝もここにいたけど、ずっとここで宿題やってんの?」
「うん」
弟はこちらを少しも見ずにそう答える。

高校2年で理科が選択科目になって、生物を取ると夏休みに自由研究をしないといけないというのは1年の時に噂で聞いていた。それが嫌で私は物理を選んだのだ。けれど、この弟はそれを知っていてあえて生物を選んだらしかった。信じられない物好きだと思った。きょうだいなのに。双子なのに。二卵性だとこんなにも違うらしい。

弟は縁側に折りたたみの机を置いて、そこに資料を広げてせっせとノートに文字を書き付けていた。私はその場にしゃがみ、ノートを覗き込む。
「ニホンオオカミ‥。え、何についての自由研究?」
「身近にいない動物と絶滅動物の生態について。」
「へー‥。」
聞いたところであまりよく分からない。そして、弟は私が帰ってきてから一度もこちらを見ない。今日私は彼のつむじしか見ていない。いつもこうである。
「それさあ、なんかとっちらかってない?もう、絶滅動物について、だけでいいじゃん。」
それに対しての答えは返って来なかった。いつもこうである。彼に比べて、私は喋りすぎらしい。

弟は、学校ではいつもひとりだった。クラスは違うが、移動教室の時や、友達に教科書を借りに弟のクラスに行った時、学校の行事の時、彼が友達といるのを見たことがなかった。
小さい頃はそんなことなかったのだけれど、彼はいつのまにかだんだんとひとりになっていった。自分でそれを選んだのか、自分ではどうしようもなかったことなのか。

以前教室で、弟と同じクラスの女子達が、「雪人様はいつもおひとりさまじゃん。すました顔してさ、」というようなことを言って笑っていたのを耳にしたことがあった。それは褒め言葉などではなく、口調から何から、明らかに侮蔑の響きを含んでいた。
冬に生まれた私たちは、私は美冬と書いて「みふゆ」、弟は雪人と書いて「ゆきひと」と読む名前である。彼はいじめられるほどではないけれど、時折そうやって陰で揶揄されているのを聞いてしまうことがあった。
それはいつも、双子である私の心に少し引っかき傷のようなものを作ったけれど、だからといって庇ったり、干渉したりはしなかった。双子といえど、私と弟は別の人間だし、自分が関わらないといけないことだとも思えなかった。彼が私に庇われたいと思っているわけもなかった。

だから私は、弟が夏休みらしく外に遊びに行ったりするよりも、黙々と自由研究に没頭しているほうがよほど気持ちが楽なのだということを知っている。どうやっても相容れないクラスメイトなんかより、自分の興味のある事柄について探求しているほうがよほど幸せで、楽しいのだろうと思った。

「ところでさ、気になってたんだけど、その石何?」
彼は左手首に、数日前から天然石のブレスレットを着けていた。その石の色が血のような、柘榴の実のような、目に突き刺さるキツい赤で、弟が着けるイメージではなかったので気になっていた。
「タイガーアイ。でもこれは着色。」
タイガーアイ。着色?石に詳しくないので聞いてもよく分からなかった。私には分からないことばかりだ。
ただ、その痛いくらいの赤はとてもきれいだった。
「きれーい、あんたそういうの好きだったの?」
「いや、もらった。」
「へっ、誰に?」
私は驚き即座に尋ねたが、もう返事は返って来なかった。代わりに彼は両手を上げてぐぐぐと体を伸ばし、広げた資料を片付け始めた。
「おまえがうるさいから今日はもう終わり。」
そう言って、結局今日始まって一度も私の顔を見ることなく、弟はすたすたと去って行ってしまった。

ひとりぼっちだと思っていた弟に、プレゼントをくれるような誰かがいるのだと思うと、どこか寂しいようなほっとしたような気分だった。
学校で、いつもひとりきりで、誰に何を言われても動じず飄々と過ごしている弟に対して、心配もするけれど憧れのような感情も持っていた。簡単に折れないその姿が誇らしく、羨ましくもあった。
私の弟は、あんたたちの安っぽい陰口になんかひるまない。
その強さは、もしかすると支えてくれる誰かによってもたらされているのかもしれない。

とりあえず、毎日家にいるから、彼女が出来たってことはないよなと思いながら、私はまだ帰ってきてから手を洗っていないことを思い出し、洗面所に向かった。

きっと、見えている世界がこの世のすべてではなく、私たちを支えてくれているのは案外見えていない世界だったりするんだろう。
例え学校という場所に味方がいなかったとしても、どこか別の場所に、何か支えを見つけることができれば、それだけで人はまっすぐ生きていけたりする。

もし私が自由研究をするとしたら、そういうテーマでやりたいなぁ。でもそうなったら生物じゃなくて心理学かな。
などと手を洗いながら考える。だけど結局、何もしないんだ。面倒臭がりだから。
そんなことを考えながら一人ほくそ笑み、私はリビングに向かった。

#自由研究 #フィクション

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