我々は『媚びている』
皆様、こんにちは。
こちらのnoteは、2022年1月2日に書き終えてから、公開するか否かで悩んだまま熟成されたnoteとなっております。
というのも、このnoteに綴られるのは一個人に対してあまりにも大きい怒りを抱いた出来事を踏まえての言葉たちのため、勇気が出ず公開出来ませんでした。
しかし最近久しぶりに読み返しましたところ、ここで語られる内容が先日投稿した「種明かしの2023年」で告げた「恐れ無い」という決意に沿った思いであったと共に、私を変えてくれるのはどんなときもファンのみんなだったのだ、と確信できる思いが書き連ねてありました。
だから、今こそ、物好erの皆様にこの怒りを読んでもらいたいと思いましたので、簡単に時系列を混乱させない為の加筆修正を加え、本日公開させていただきます。
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皆様、こんにちは。
(当時)24歳女、カヤノです。
本日は、私が所属しているアイドルグループ
グローティアのお話をしてまいります。
ファンのみんながとにかく好き
アイドルをしていると、有難いことに様々な方から温かい言葉を頂きます。
ましてや私たちは(2022年1月時点で)昨年5月にステージデビューをした身のため、まだ外の世界に晒されたばかり。
有難いことに歩んだ道はまだ、ちょっとチクチクするセーターの道程度で済んでおります。
(例えとして、32点の出来栄え)
批判の言葉を頂けるほど、まだ我々も大きくなれていないということです。
多くの人の目に触れれば、同じだけ厳しい言葉も増えるのは世の常ですからね。
とにかく今はエゴサーチをすれば見つかるのは愛に溢れた言葉ばかり。
本当にいつもありがとう。
……そうやって皆さんの熱量ある想いに触れると、それ以上に私たちは皆さんのことを愛してあげたいと思いますし
「今、傍にいてくれる皆さんに楽しんで頂ける方法は何なのか」
を模索するのが楽しい日々です。
私は、私たちを愛してくれる人のことが本当に、本当に好き。
私の高校からの生きるヒントのひとつに
「自分を嫌っている人間にこそ、深い愛を持って接することで嫌がらせになる」
という考えがあるのですが、これはある種の強がりでもありました。
そうでもしないと、自分を信じれるまでに足る程の支持者があの頃は居なかったのです。
でも今はみんなのおかげで、この考えは少しずつ変わってきています。
こんなにも愛されているのだから自分はもっともっとやれるはずだ、と思えるのです。
そして、私の持ちうる愛を、愛をくれる人にこそ割いていたい、とも。
そうする内に、その様子を楽しそうだと思ってくれる人が増えて、この輪を拡げていけたら、と切に願っているのです。
ただ、今回はそんな気持ちを踏みにじるような言葉を投げられてしまう、そんな話です。
我々は『媚びている』。
大切にしてくれるから、大切にしたい。
私たちのできる音楽で、今居てくれるみんなに楽しんで欲しい。
あわよくば、その姿を見た初めて出会う人達に、この輪に入ってきてほしい。
ステージに立ち始めた5月から、そういう気持ちで努力してきました。
2021年の終わりごろ、私は「新しい人にも入りやすくありながら、今いる人にももっとライブを楽しんでもらうにはどうするべきか」という話をしていく中で、ある人物から衝撃的な言葉を頂戴することになりました。
「君たちのやってる売り方は、媚びる路線一直線じゃん」
もう……思わず失笑。
「偉そうなこと言うけど、ろくすっぽ最近のライブも見てもいないくせに」という言葉を喉の奥ギリギリで飲み込みました。
飲み込んだ言葉が高温に熱した鉄の玉のようで、急激に体温が上がる感覚がしました。
目の奥でじんじんと心臓が鳴って。
ああ、そうか。
この人には、私たちがファンを大切にしている姿が、
どうかできる限り長く傍にいて応援して欲しいという思いが、
そのためになるべくの努力をしたいという考えが、
「媚びている」
ように見えるんだ、と思うと情けなくて、呆れてしまって、不甲斐なくて、それからどうしようもなく怒りが湧いて。
そして最後に、こんなにもファンを愛しているからと口にする私の目の前で、そんな言葉を躊躇いもなく言えるこの人には私たちがみんなと築いてきたものが分からないのだと、分かる気がないのだと心底憐れに見えました。
熱くなった体温が寒気がするほどサーッと引いて。
そして悲しみと共に、
あの人が我々についてだけでなく、かような文化に無知であることと、無知であることに気付かず、歩み寄ろうとさえしていないことに気付いた頃には、あの人へ送れるのは、ただの言葉を発する肉塊という認識だけだったように思います。
愛しているから
でも、これだけ私がみんなを好きならば、媚びているように見えても仕方ないとも思うのです。
もちろん、私からすれば媚びてるつもりはないのですよ。
結局私は私の信じる、私がみんなに見せたい選んだ姿しか見せないし、みんなに好かれたいがために私の芯がブレることは今までも、これからも、一度たりともない。
もしもみんなが聞きたい音楽と、私が歌いたい音楽が乖離したならば、私は私の歌いたい方を選びたいし、私のやり方を変えたりはしない。
みんなが私から離れても、私はみんなを追いかけない。
ただただ、帰りを待つことしか、私には出来ない。
……それでも、そう覚悟していても、誰かが離れていくときは本当に悲しいよ。
少し会えないだけで、不安になります。
大好きだから。
でも、合わなかったと納得するしかない。
どれだけ貴方との「今」が本当でも、私が永遠を信じることで嘘吐きにさせるリスクは、あげられない。
だからいつも「この人が私を大切にしてくれてるこの時間は有限だ」と仮定してしまって、最大限の愛を持って大切にしたいのです。
媚びてんじゃなくて、本当にファンが好きなだけだけど。
上等よ、媚びてる女で。
それでみんながもっと熱を帯びてくれるなら。
私の信じる想いや姿を、どんな言葉でいくら詰られようが、私はみんなが認めてくれる私がそこにあるから構わない訳です。
だから私が許せなかったのは、媚びていると言われたことなんかじゃなく、今の私を好いてくれるみんなの姿を、無知ゆえに愚弄されたような気がしたことでした。
みんなが私を愛してくれているから、私は同じだけの愛を注ぐことができるのだと思っています。
見返りを求めない無償の愛は、いつも難しい。
でも、だから、どんなに悲しくなるような言葉が突き刺さっても、私にはみんながいるから何も怖くは無いのです。
私がみんなを愛する重さが、みんなからの愛と同じ重さだと思うから「こんなに愛せるということは、こんなにも愛されているんだ」と自信を持って居られます。
あの頃、強がりに似た美学を掲げなければ、誇り高く咲いて居られなかった私とは違って、今の私にはみんながいる。
そしてそうならば、やはり私は何を言われてもみんなを大切にしようと躍起にならざるを得なくて。
あーあ。みんながいなくなった時、私はどう生きていけばいいのか分からないかも知れません。
でも、みんなはいつでも飽きていい。
いつでも私から離れて行っていい。
永遠にするかどうかは、みんなが選んでいい。
だけど私は終わりの時まで、私はやはりみんなに「媚びる」のをやめたくない。
本当に、毎日毎日考えて、ふと省みて重たい自分に嫌気がさすほど大好きなのです。
だから、私がそうであるように、少しだけでいいから毎日私を思ってね。
貴方にとって忘れられない人になりたいと願っています。
こうしているといつか私が、重なる別れに壊れてしまいそうで恐ろしいけれど。
それなのに私を愛してくれているみんなを愛するのは、やめられそうにありません。
わたしという娯楽のために貴方との時間が欲しいと思っているなら、貴方の時間を割くに相応しい女で居たいのです。
逃すには大き過ぎるから、逃さないで。
デカい水槽の真ん中で逆に泳ぐ私を慈しんでね。
かしこ。
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