苦痛を歌う天使になりたくて。#4
皆様、こんにちは。24歳女、カヤノです。
こちらは、2021年12月12日、北仙台ペニーレーンさんにて行われた「SENKAN NIGHT」というイベントに出演したお話の第四話です。
『苦痛を歌う天使になりたくて。#1』からお読みになるのをオススメします。
今回は、本格四川坦々麺(大盛)(当社比)なかゃちワールド展開です。
「アイドル」という色眼鏡
私は、アイドルの自分が好きである。
「君たちはアイドルじゃないから」と告げることで、音楽に本気で取り組ませようとしてくる大人がいらっしゃるのですが……。
それではまるでアイドルは本気で音楽をやってないみたいな言い方だし、本当に間違ってっかんね!? と言わせて頂きたい。
私が人生において出会ったアイドルさんたちの中でも、直感的に「好きだ」と思ってきた人達はみんな真摯に音楽と向き合い、アイドルという枠に甘えることなく歌うことへ本気でした。
そんな彼女らはもちろんアイドルで、かつ紛れもないアーティストだと思います。
そういう存在を知らずに「音楽のためにアイドルと名乗るな」みたいなことを言われると、正直腹が立つのです。
アイドルという仕事はいつの時代も憧れの対象になりうる存在であり、私は奇しくも例に漏れずそれになることが幼少期の夢でありました。
「アイドルなんて」を枕詞にマイナスなことを言うと、アイドルに励まされた人に後ろから刺されかねないのですよ。
そこの御人、これからは背後にお気をつけて。
もちろん、他にもアイドルがアイドルたるためには様々な要素が必要で、それが人によって変わるのも理解しております。
ただ、アイドルをやる側としては、それはどれに重きを置いてるかだけであって、代わりに何かを蔑ろにしていい訳ではないと、私個人としては思うのです。
ということで私は、どれもこれも大切にして行きたい。
醜いほど貪欲だと思われていいし、苦手なダンスも諦めたくないし、みっともなくても努力にしがみつきたい。
だから、アイドルを侮る大人への腹いせも込め(?)自分の職業は「アイドル」と答えるよう心がけております。
……おいそこ! 誰がしがないフリーターだって!?
遊んで暮らしてると思われる節もあるので、未だ言えてない相手もおりますとも……。
ごめんね、おじいちゃん……(泣)
かように「アイドル」という肩書きに振り回されることも多々あるのは、やっぱり世知辛いところでございます。
あの日も、終演後に私はこのように言われたわけです。
「アイドルなのに歌上手いんだね」
これから先も上手いとは言われるようにしたいものでございます。
実際その時も嬉しかった。けど不思議にも、後からもや……っとしている自分がおりました。
何故なのかと自分なりに考えてみると、前述したような思いや、私の音楽に対する志や信仰めいたものが見えてきたのでございます。
私、誠に勝手ではありますが、アイドルにおいて歌は二の次の時代は終わったと思っておりまして。
(もちろん、ピッチが絶対正確でなければならないとか、そういうことではありません。
そこに「味」があるなら、細かなこと云々を言われるのはしゃらくせえ! でございます。)
インターネットを少し検索するだけで世界中の質の良い音楽がたくさん聞けるという時代で、利き手の耳というのはいい意味で肥えていると感じております。
また、ジャンルやルールに囚われない音楽の捉え方というか、前衛的と呼ばれるような音楽も次々と現れて時代を風靡していって……、るんですか?
不肖、ジャンルも音楽理論もあまり気にして音楽を聞いたことがないため、全く詳しくないんでした……
危うく知ったかぶりをするところでございましたね。てへ。
兎も角、音楽を容易く持ち運べて、好きな曲をいつでも耳にでき、果てには知識が完璧になくても、感覚的に音楽を紡ぐ手段を得た現代人にとって、音楽というものは、より「お手軽化」しているかと思う訳であります。
崇高な古典的音楽はやはり大切にしつつも、音楽はより身近な大衆文化的活動と化しているのかな、と一一般人は思うのでございます。
生活に余裕があってこそ文化は発展出来るということは、歴史を見ても、今の時代を鑑みても分かることであります。
1枚の不織布に隔てられたせいか、そんな些細な生活をすることすら難しく息苦しい今でも、比較的手に取りやすい所に良いものが存在してくれている。
これは恵まれたことであり、これからも音楽はもっと発展していけるのかなと、淡い希望を持ちたくなります。
そしてこのような時代に、「アイドルだから」とか「アイドルなのに」とか言うのは、使い方によっては逆に恥ずかしいかもな、と。
音楽でご飯を食べていくためには、常に新しいモノを取り入れてアップデートできる余裕がある中でも、揺らぐ事なく、色褪せて見えることもないその人なりの「軸」があるのかが大切なのかな、と思うのです。
だから、本気で音楽に取り組んでいれば「アイドルだから」とかには胡座をかかず、常に努力しなければならないと私は思っております。
そういう志でやっている分「アイドルだから・なのに」という枕詞に、小生意気にも傷付いてしまったりするきらいがあるようなのです。
結局のところ私って『まだまだ』
あれやこれやと長く語ってみましたが、結局、12/12のステージにおいての私のテーマが
「アイドルの時とは違う自分を見せる」
だったからこそ、「アイドルなのに上手い」と言われて少し悔しかったのかもしれませんね。
それをこんな熱量の2,500文字以上の言葉で返球している辺り、まだまだケツの青いガキでございます。
何よりも褒め言葉は褒め言葉として、素直に受け取っていた方が愛嬌がありますよね。
こういう文を書いて、しかも胸の内に秘めておけない私もつくづく世渡りが下手だなあと、恥ずかしい限りです。
でもやはり、日々で感じるお世辞にもポジティブとは言えない感情等を、なんとかして皆様に見せられる形にしてしまうのは間違っていない!
……と、かのフロイト先生の提唱した防衛機制の考えに基づき、ひっそりと主張することで、自己肯定完了としようではありませんか。
あの頃は無価値に思えた高校で学んだことも、人生では意外に役に立つものです。
真に、「無知は罪」信仰派になりそうです。
ともすると自動的に私は大罪人であります。無慈悲!
発散して元気になるつもりが、結果、色々と自分の愚かさを見つめ直すいい機会になってしまいました。
こんなことになるなら知らぬが仏……って、
嗚呼、もう「無知は罪」信仰が脆くなってしまっています。
どうにか都合のいい部分だけ吸い取って生きていきたいので、そのくらいの緩さでよろしいですか?
閑話休題。すぐに話の腰を折りがちでございます。
私にとって音楽はこれから先もなくてはならない大切なものとして、人生に寄り添ってくれることでしょう。
音楽によって拓けた新しい価値観や生きるヒントが、今の私の『思想や哲学』となっていく。
そして私の音楽を聞いてくれる人にとって、それらがまたその人にとっての『思想や哲学』になっていけばいいな。
美しい大きなサイクルの中、我々は互いに互いの青いケツを追いかけて、いたちごっこを繰り返していくのかもしれません。
あ〜あ!今日の夜は『ムカデ人間』でも見ようかしら。
かしこ。
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