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遠くても正体不明でも、感じられる?信じられる?希望の強み(1000字)

VIA-ISで定義された24の人格徳性的強みのひとつは「希望」。
超越性の美徳に分類される。

強みの対話会で希望について取り上げた。

驚きの気づきは
希望は最初から見えてるわけじゃない

え!?
だって「希望を見出す」とかよく使われる言葉よね?

希望は遠くにある

希望の強みが高い方の共通項は

「目的とか目標じゃなくて方向
あっちだと感じる方向に向いていることが希望。

目指す方向に明確で具体的な何かが見えたとしても
それは目的や目標で
希望とは違うというのが印象的だった。

希望は小さな光かもしれないし
水平線の向こうに幾つも揺らめく灯りかもしれない。

いくつあってもいいし
近づいてもいいし
置いといてもいい。

「いいと感じる何か」が遠くにあって
そっちを向いていることが大事
なのだそう。

希望は正体不明

けどやっぱり
小さくても遠くても光が見えるってこと?…と思っているところに、別方向の希望がもたらされた。

光が見えるというより
何か柔らかくて暖かいものに包まれているみたいに希望を感じる

とりあえず希望は遠くにあると思った矢先だったので
「包まれている」と聞いたときはその近さに混乱した。

だけど何か共通点を探したくなるのが
私の上位の強み創造性と審美眼だ。

そこで気づいた共通点は2つ。

ひとつは
光源を見なくても光を感じることはできるから
明るさや暖かさを感じることで
方向がわかるということ。

ふたつ目は
正体はわからないということだ。

正体はわからないのに
そっちを向いているのがよかったり
包まれているのがよかったりするのだ。

…冷静に考えると、ちょっと怖いかも…

結局、希望ってなに?

だけど
私の中にも希望の強みはあって
確かに希望がある方へ行きたくなる。

その行き着く先はどこなのかと問うて
何か名前をつけると
途端に目的や目標に化けてしまうというのは
その通りかもしれない。

今日の対話会で
希望は希望のままでいいのだと思った。

何かわからないけど
自分がいいと感じて
その方向へ行こうとしていること。

そのことがそのまま希望なのだ。

私にとっての希望の強み

そんな希望は
私にとって高い強みではないので
いつも自動的には感じられない。
正直、普段は忘れている。

だけど
何かうまくいかないときに
希望の強みを感じられたら
きっとまた動き出せると思うのだ。

それは
手のひらや足元にさす光や
ふと顔を上げて目に入る遠くの光が
行きたい方向を思い出させてくれるからだろう。

正体不明だけど信じられる希望の光だ。