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動画、原稿、視聴競争~名人戦第1局の日に

自己紹介

みなさん、こんにちは!
まるでAIのような挨拶の入り方で恐縮です(笑)
デザインスタジオKと申します。略称はデザスタKです。

昨年2022年末頃からYouTubeチャンネル『デザスタK【オトナの将棋ラジオ】』で、将棋にまつわるコンテンツを配信しています。

今回、noteを始めてみようと思って、チャンネルの動画本数をみてみたら、85本と表示されています(2023/04/06現在)。結構、たくさんアップしたなあと思います(笑)これはおそらくショート動画も含めての本数だろうと思います。

それで、今回noteで展開していってみようと思った経緯と理由について、さらりとお伝えします。

動画と原稿


Youtubeでの配信は、当然動画を以って行うわけです。ほとんどすべてのYouTuber同様、動画を都度制作します。わたしの場合は、原稿を書いてから、それを紙芝居のように絵として貼り付けていきます。

例えばこんな感じ…
【佐藤天彦九段・独占インタビュー②】AI時代の棋士の個性とは?「人間らしさ」とは?例えば角換わりなど”なんとなく”連続的に観て楽しむ将棋観戦とは?※2022年末時収録

https://youtu.be/75PxonuQXfQ

わたしの場合は、自動読み上げソフトも使って、絵と台詞を合わせながら紙芝居的に組み上げていきます。これはわりと時間も手間もかかる作業です。楽しさと苦しさが併存しているような感じです(笑)

YouTubeでは映像というメディア形式(※)が採られるわけですが、映像で聞いたり見たりだけではなく、文字というか文章でも読んでもらいたい、という考えがあります。
(※ここで形式というタームが適切、的確なのか、ちょっと難しい議論の余地はありそうですが,,,)

というのは、仮にYouTubeでロング動画と規定している8分以上を組んでいくとなると、3000字くらいにはなります。それほど多い字数と個人的には感じないのですが、この字数を仮に絵なしで文字キャプションだけで、画面に紙芝居で表示していく動画だと、ほとんど再生回数は稼げないでしょう。

どうしても絵なり映像なりをくっ付けて、動画として組成していきます。
とはいえ、もともとは私の場合、まず原稿(台本)を書いたうえで、次に動画を作っています。ですから、わたしの個人的感覚ではまず、原稿ありきです。

もっと言ってしまえば、どうしても動画で情報発信したいという映像クリエーター的発想はもともとあまり強くないと思います。

これは、個別メディアで言えば、テレビやラジオよりも新聞や雑誌書籍といったいわば”エクリチュール”への信奉や信仰(笑)が強いからだろうと思います。確かアーレントは、ベンヤミンのことを(ちょっと憐れみながら?)”文字の人”と呼んだような気がします。わたしはベンヤミンという人は好き嫌いでいえば、好きだと思います(笑)

暗い時代の人々

というわけで、わたしは動画作りをしているものの、できれば原稿そのものも発信していきたいという気持ちがあるということです。

視聴競争と作品

また、YouTubeでの視聴獲得競争への疲れ(笑)や別のメディアでの情報発信の可能性を探ってみたいという気もしています。

どういうことかといえば、YouTubeは周知の通り、発信側はとにかく再生回数のことばかり考えることになります(笑)再生回数の伸びた動画コンテンツは”エラく”、伸びないそれは”エラくも価値もない”といったような極端な考え方を助長しているようにも思えます。

もちろん古今東西、オーディエンスに受け入れられる作品とそうでない作品というものが存在しています。例えば、ゴッホの絵は存命中、人口に膾炙してはいなかったわけです。極端な”視聴獲得ゲーム”は、それはそれで面白さもありますが、アテンションエコノミー(注意経済)のなかで、内破する契機のようなものは探ってみたくなります。

24/7 :眠らない社会

そこでnoteに行きつきました。

時に緩やかに、時にラディカルに(笑)、時に毒気だらけに(笑)、「将棋」をメインテーマに据えつつ、時宜に応じて「メディア批評」「情報社会論」「社会・時事・国際ニュース」「翻訳」「社会人の学び」なども交えながら幅広いテーマで随時、原稿/記事を発信していきます!

追補

佐藤天彦九段による名人戦大盤解説会について

本日の名人戦第1局、ABEMAなどでの中継のほか、朝日新聞の将棋チャンネルで大盤解説会の模様がアップロードされています。

解説は佐藤天彦九段と三枚堂七段、飯野女流ほかでした。

そして、おそらくネットで話題をさらっていると思いますが(笑)、天彦九段の解説はキレキレでした(笑)

【大盤解説Live】渡辺明名人ー藤井聡太竜王 解説・佐藤天彦九段、聞き手・飯野愛女流初段【第81期将棋名人戦第1局】
https://www.youtube.com/live/eBnxhR46Aic?feature=share

果たしてこれまでに、藤井竜王の物真似をした棋士解説があっただろうか?
くわえて渡辺名人の物真似も公平を期して披露するあたり、(批判などではまったくなく)度肝を抜かれた(笑)

名人戦という伝統と格式の棋戦で、挑戦者である藤井竜王を「藤井君」と呼べるのは当然ながら天彦九段しかいない。名人位を3期戴冠したトップ棋士だからこその、あの踏み込み!

当然、ネット上ではいろいろと意見が飛び交っているだろうとは思うが、ある意味で将棋の名人戦の存立場所を革新したような印象がある。

笑いに包まれる会場。もちろん、米長永世棋聖も冗談は面白かったし、自身のパーティーで「最近、あれが出てきてね」と当時の羽生さんを「あれ」と呼んでしまう面白さの凄みみたいなものはあった。

わたしは、天彦九段が藤井竜王の物真似をおそらく棋界で初めて披露したエンターテイナーとしての覚悟と感じた。それこそあれは「並みの棋士」では開陳できない。

【藤井聡太竜王 VS 佐藤天彦九段 注目の連戦‼】12/19・27棋王戦挑戦者決定二番勝負& 23 A級順位戦〜対戦成績と今期成績は?広瀬章人が分析した藤井五冠の強さも紹介❗️
https://youtu.be/mXphgeWRA78

つまり、いま藤井竜王はそれほどまでに神格化されつつある。動画で藤井聡太と表記したり自動読み上げで発声すると、竜王などタイトル・段位の「尊称」や「さん」の敬称が抜けていて「失礼だ」などとコメントが寄せられる始末なのである。トランプは「トランプ」でも「トランプ氏」でいいにも関わらず(トランプ元大統領くらいが落としどころか)、藤井・大谷は呼び捨てにすると「失礼」とする価値観や考え方が広まりつつあるのかもしれない。
※新聞記事の見出しで「藤井聡太さん最年少名人へ」とは決してならない。首相であっても「呼び捨て」にする。呼び捨てという感覚すらない。わたしもそうした感覚を血肉にしているが、それを「上から目線」でエリーティシズムとして誤読する傾向は世界的に広まりつつある。かつてのトランプと対戦した際のヒラリー、大統領再選時のマクロンと枚挙にいとまはなさそうだ。つまり、エリートVS大衆という古くて新しいテーマ、ポラライゼーション(両極化)という世界的潮流が背景に横たわっているように思われる。

週刊将棋

藤井竜王は弱冠20歳でタイトルを総なめにする、尋常ならざる棋士としての強さは、もはや言を俟たない。はっきり言って、トップ棋士たちが束になってかかっても勝てないという状況に棋界はある。それくらい強い。

それが、なにか意味不明の思想的なところと接続して、保持タイトルや「さん」付けがないと失礼といったムードが醸成されつつあった。

天彦九段はそれを名人位3期戴冠者の圧倒的実績を引っ提げて、大盤解説会で「藤井君」「藤井さん」と「渡辺さん」と呼び続けた。

将棋の選良たちというのは、此方とは異なる感覚や特殊な世界で育ち、存立している。芸能界や経済界のように、独自の界(シャン【仏】champ【英】field)として将棋界は形づくられている。

おそらくわれわれは、そこについてまだ多くを知らないのではないか。小学生のころに戦った相手と、将棋の奨励会を経て、トップ棋士に登りつめたのちも対局し続ける凄まじき選良の世界である将棋界。ほかに似たような界はあるだろうか?あるのだろうが、わたしにはすぐに思いつかない。

四谷大塚に通って、日本で10指に入ったのち、東大理Ⅲの受験で相まみえるといった次元ではない。なぜなら理Ⅲには1年に100人の入学定員枠がある。一方で、将棋界でプロ棋士である奨励会三段から四段に昇段できるのは、年間わずか4人である。鉄緑会も理Ⅲも恐れ入る選抜システムなのだ。

だからというわけではないが、天彦九段が「藤井君」と呼ぶのは、なんとなくわかるわけである。そういう界なのだ。独自のコードや感覚が存在している。それは将棋棋士が「天才業」であることと関係していると思う。

日本のトップに位置するA級棋士10人は、少なくとも全員グラデーションがあるにせよ、天才であろう。天才同士が対局し、そこに藤井竜王という大天才が出現したことで、界の勢力図は短期間に一気に書き換えられた。

ニュートンにせよ、ダヴィンチにせよ、フーコーにせよ、アインシュタインにせよ、ペレリマンにせよ、そうした大天才たちは、学問を書き換えてきた。藤井竜王は、大山永世名人や羽生九段のように将棋界を書き換えている。

その才能や実力、実績に対する敬意と「君付け」「さん付け」「タイトル名付け」といった呼称の仕方は必ずしも連動しない。

わたしは全面的に今回の天彦九段による、将棋界に対する「いわゆる世間の見かた」のようなものを問い返した大盤解説は、非常に革新的だと感じた。毒気ですら、笑いを媒介として聴衆に伝えた天彦九段に覚悟のようなものを感じました。

※ただし、これ(天彦九段のトーク)を原稿として調理というか捌くのは、なかなか難しいと思いますね(笑)高度な包丁技術が求められることでしょう,,,


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