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週刊 僕たちのフィロソフィーvol.9【僕たちの知らないこと】

カナダの路上で、ブロンドで青い目、20歳くらいの綺麗な女の人に話しかけた。名前はサラ。彼女はホームレスだ


今日は僕がカナダで1週間ホームレス生活をしたときのことを話そうと思います。その経験は僕に、”僕たちの知らない”世界が目の前にあり続けていることを教えてくれました。



「現地で本当に求められていること」を知りたくて旅に出た21歳

漠然と国際協力の道に進みたいと思っていた21歳の僕は、答えを探していました。「現地で本当に求められていること」は何なんだ?

カンボジアで学校を建てる人、運動会を届ける人、医療を届ける人、いろんな人が自分の正義に準じて「国際協力」をする中で、僕はそれが本当に求められていることなのか?それが答えなのか?という問いにぶつかっていました。

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世界を旅するキラキラした旅人に憧れていた当時の僕は、自分もその輝きに身を投じたかったし、人生の方向性を定めたかった。そのために、ワーホリからの世界一周というワクワクの止まらない計画を立て、「自分の中の答えを探す旅」と位置づけて、片道切符でカナダに飛びました。

きっと、世界を周り色んな人に合い、色んな価値観と現実に触れれば日本に帰る頃には「答え」が見つかっているはずだ!という期待に胸を膨らませ訪れた1カ国目で僕は”現実”を知ることになりました。


「What do you want」(あなたは何が欲しいの?)

カナダのバンクーバーのファーストフード店で働いていた僕は、毎日帰り道に気になることがありました。

それは、僕の働いていたお店のすぐ近くの交差点で、ダンボールを持って座り込んでいる若い女の人がいることでした。

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状況から見たらホームレスなのですが、なにせこんな若い、しかも女性のホームレスを僕は見たことがなかったので確証を持てずにいました。

僕は毎日「今日こそは話しかけよう」と意気込んで、勇気が出ず目の前を通り過ぎるという日を、もう2週間近く続けていました。

そんなある日僕は、ファーストフード店で貰ったまかないを渡すという口実で話そう!という女々しいアイデアを思いつきました。

「こんにちは。良かったら、これいらない?」受け取った彼女は笑顔でお礼を言ってくれました。この日から毎日、僕は彼女と話をしました。

彼女の名前はサラ。金髪で青い目の可愛い女の子で年齢は20歳。17歳のときに父親がアルコール依存症でDVがひどく、その家から逃げ出し、働いていたが、うつ病になり仕事をくびになってから2年間、路上が彼女の唯一の居場所になっていた。

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ある日僕は自分が「現地で本当に求められているもの」を探すために旅をしに来たということを思い出し彼女に尋ねることにした。

「What do you want」(あなたは何が欲しいの?)

きっと、暖かい家やお金とかって言うのかなと思っていたが、彼女の答えに僕は、いかに自分が偏見で人を見ているかを気づかされた。

大地、私はね自分のファッションブランドを持ちたいの。そして、お店をかまえて多くの人に私が作ったものを届けたいの」

彼女は僕に、キラキラした顔で夢を語った。


その日から、僕は「自分の中の答えを探す旅」を歩み始めた。

路上にいるホームレスの人を見つけては話しかけ、「What do you want?」と聞き続けた。きっと変な日本人だと思われたと思うが、僕は毎回彼らの目の前にある缶や、帽子にお金を入れてから質問していたので無視されることはなかった。

彼らの答えに同じものは一つもなかった。

「俺は自由を求めてこの生活をしている。強いて欲しいならお酒だな!ははは」「私はいつか、依存症患者のカウンセラーになりたいの」「私は農場が欲しいわ。そこで牛や馬を育てるの」

僕が日本から持ってきてた、価値観が音を立てて崩れていった。

もっと彼らのことを分かりたい。もっと、、

そう思ったこの時の僕は、今の自分ならできないような行動に出た。使命感か、正義感か何があの時の僕をそこまで動かしたのかは今となっては分からないが、とにかく、僕は若かったのだ、、


かばんと枕だけで7日間のホームレス生活!?

少しでも分かりたい、いや”分かった気になりたい”

そう思った僕は荷物を全て友達の家に預け、自分は小さなリュックサックと何故か枕と2000円だけを持って、1週間ホームレス生活をしてみることにしました。

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サラには、そのことは言いませんでした。所詮全く同じ目線にはなれない僕がこんな事をするということを、サラが良く思わないだろうと思ったからです。

それに僕は、自分のサバイバルスキルに自信がありました。だから1日目から余裕だろうとたかをくくっていました。

それが”過信”だったと気づくのに時間はかかりませんでした。

4月のバンクーバーはかなり寒く、日本の12月くらいの気温でした。僕はとりあえずマクドナルドで寝とけば朝になるだろうと思い、近くのマクドナルドに行きました。1日働いて疲れていた僕はジュースを1本頼むと、すぐに机につっぷして寝始めました。

「Hey! Hey! Guy!」

何やら怒っているような声が聞こえたので、目を覚ますと、目の前にビッグマックのように太った女性定員と、フライドポテトのように長細い男性定員が立っていました。

フライドポテトが僕に言いました

「この国では、深夜に店で寝るのは犯罪なんだ!警察を呼ばれたくなかったらすぐに出て行け!」

僕はあまりの剣幕にすぐに、荷物を掴んで、ジュースをその場に残したまま逃げるように店を出ました。

知らなかった。この国はホームレスの人が店で寝ないようするための法律があるんだ。

僕は0度近い、雨が降るバンクーバーの街を寝場所を求めてさまよいました。地下の駐車場では警備員に見つかり追い出され、屋根がある路上で寝ようとしたら、寒すぎて1分も持たず。

ただ、ただ、身体を冷やさないためだけに雨に打たれながら歩き続けました。

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その時強烈に感じたことを、今だに鮮明に覚えています。

僕はビルを見上げながら感じました

「あのビルの床で寝させてくれたら、寒さも雨も防げるのに、、まるで街全体が俺の存在を否定して、お前の居場所はその路上だけだ!と言ってるみたいだ。これが”孤独”ということなのか

僕は始発の電車にのり終点まで電車の中で寝て、ついたらまた折り返して始発まで寝るというのを繰り返して2時間ばかり寝ました。


それからの1週間は飢えと寒さと孤独との戦いで、安心して眠れる場所は最後まで見つかりませんでした。最後の方は、あまりの疲労に寒さの中でも路上で寝れるようになっていましたが、連続で寝れても1時間が限界でした。

ホームレス生活を終えてから、1週間ぶりに浴びたシャワー、暖かいベッドで寝た時、僕はまるで天国にいるような気持ちでした。

そして、僕はサラのことを思い出し、少しの罪悪感と共に眠りにつきました。


旅の終わりは唐突に

ホームレス生活は終えましたが、それからも僕の定期的にサラと路上で話す日々は続いていました。

そんなある日英語学校の文法の授業で、僕は唐突に「答え」にたどり着きました。

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先生が僕にテストを返して間違いを指摘してくれました。

「大地、I met a homelessは間違いよ、正確には I met a homeless personよ!」

その瞬間に全てが繋がりました。

そう英語文法ではhomelessとは言わずに、homeless personもしくはhomeless peopleと書きます。

ホームレスは状態であって人では無いのです

僕は日本でも、バンクーバーに来てからも、常に「ホームレス問題を解決したい」という風に”ホームレス”を現象として捉えていました。

でも、本当はホームレスな人であり、ホームレスな人々だったんです!

つまり、僕がこれまで路上で話しかけて来たホームレスの人々は、それぞれ全く違った理由でホームレス状態になり、全く違うニーズを持った、全く違う人々なのです。だから当然、解決策も人それぞれ違うんです。


「現地で本当に求められているものを」という問いの答えは

「人それぞれ違う」というあまりにも当たり前の、しかし僕にとっては強烈な”現実”にたどり着きました。


僕の「自分の中の答えを探す旅」は1ヶ国目で終わりを告げました。

しかも、何の将来への指針も示さないまま。

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さて、ここから僕は世界一周へ行き、その後LES WORLDを作ることになるんですが、その話はまたいつか、機会があればということにさせていただきます。

長い、長いお話に付き合っていただき有難うございました。


来週のお題は【僕たちのエゴ】


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