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エゴン・シーレ展(東京都美術館)

東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展に行ってきた。

最初にシーレのことを知ったのは、神経科学者のEric Kandelが書いたThe Age of Insightという本。グスタフ・クリムトやオスカー・ココシュカ、そしてエゴン・シーレといった1900年頃のオーストリア表現主義のアーティストたちを紹介し、彼らの絵を見たときに我々の脳が無意識下でどのようにその印象を処理するかについて書かれていた。

本を読んだ数年後、ウィーンに数日間滞在して、レオポルド美術館やヴェルヴェデーレ宮殿に足を運んで、実際に彼らの絵画と対面した。ちょうど1900年のオーストリア表現主義の黄金時代をフィーチャーした展示がウィーンの街を挙げて行われており、至るところにそのポスターが貼られていた。

クリムトもシーレも人間の無意識とか性衝動を表現しているけれど、シーレの方はよりダークな部分にフォーカスしていて怖い印象を与える。とはいえ、本で知って以来気になり続けていたアーティストなので展示会が始まるのを楽しみにしていた。

シーレの生涯

エゴン・シーレは1890年のウィーンで中流階級の家庭に生まれた。クリムトより30歳近く年下で、オーストリア表現主義の代表的なアーティストたちの中ではおそらく最年少。父親も母親もアーティストではないのだが、シーレは幼少期から絵を描き始めてその才能の片鱗を見せていた。

16歳の時にウィーン美術アカデミーに特例的に最年少で入学する。それまで特別な美術教育を受けていたわけでもなさそうで、やはり天賦の際があったのだろう。

17歳の頃にはクリムトに弟子入りを志願して、才能を認めたクリムトから経済的な援助を受けたりアーティストのコミュニティに所属したりしている。

21歳でヌードモデルだった17歳のヴァリ・ノイツェルと同棲を始める。同棲している間もアトリエに女性を出入りさせてヌードを描いて近隣住民の反感を買って町から追い出されたり、14歳の少女を関係を持ったとかで逮捕されたりとバタバタしている。そんな中でヴァリとの関係性はどういうものだったのだろうか。

その後、25歳でエーディト・ハルムスという女性と結婚する。ヴァリとどちらを選ぶかで揺れたようだが、世間体や安定した生活を欲しがったという面もあるのかもしれない。結婚の直後に第一次世界大戦に従軍することになるが、幸いにも前線に送られることはなく、画家としての活動を続けることができた。

晩年は(といっても20代中盤くらいだが)、彼の絵は国際的に評価されるようになり、自分のアトリエを構えるくらいの経済的な成功も得ている。

1918年、シーレが28歳の秋に妻のエーディトがスペイン風邪で死亡。その3日後にシーレもスペイン風邪で息を引き取った。同じ年にはクリムトも亡くなっている。

シーレの絵

シーレの絵からは彼の内面の不安定さや脆さが怖いほどに伝わってくる。性衝動という同じテーマを描いていても、クリムトが描く絵は快楽的な煌びやかさがあるのに対して、シーレが描く絵は激しい苦悩を感じさせる。そういった負の感情と向き合って絵を描き続けるのには余程のエネルギーを必要としただろう。

有名な「ほおずきの実のある自画像」でも、シーレは自信やプライドを伴った表情でこちらを見つめているが、やはり背後にある不安が見え隠れする。いまにも崩壊してしまいそうな脆弱な自我がなんとか均衡を保っているというような緊張感がある。それが赤いほおずきの色との対比でなんともいえない美しさを醸し出す。

多くの自画像でシーレの身体は痩せ細って歪んでねじ曲がって苦悩に満ちた姿で描かれている。まるで苦行僧のようだ。大きく誇張されて描かれた手は特に強い印象を与える。人間の不安は手の動作に現れるというが、シーレもやはり大きな不安感を意識せずにはいられなかったのだろうか。

彼の恋人の肖像を描いているはずなのに、顔はシーレに似ているような絵もあった。それが何を意味するのかは分からないけれど、大きな苦悩の中で彼女との関係性も混乱に満ちていたのかもしれない。

僕に才能はありますか?

素人の自分には彼の絵画の技術的な側面がどの程度のレベルなのか正確には分からないが、スーツの紳士を描いた大きな絵からは、17歳の少年がほとんど独学で身につけたものとは思えないほどの技量が感じられる。若くしてウィーン美術アカデミーに合格していることをみても、彼の画才が非凡だったのは間違いないのだろう。

そのシーレがクリムトに出会った時に「僕に絵の才能はあるでしょうか?」と尋ねた。クリムトは「ある。ありすぎるくらいだ。」と答えた。

シーレはなぜ才能があるかどうかなんてことを尋ねたのだろうか。彼にとって「才能がある」というのはどういう意味を持っていたのか。絵の技術があることなのか、独創性があることなのか、画家という職業で食っていけるかどうかという現実的な問題が気掛かりだったのか、クリムトという憧れの画家からの承認が欲しかったのか。

アーティストにとって絵を描く理由は、①絵を描く行為それ自体に対する愛、②自己表現、③他者からの承認、④生計を立てる手段、などがあると思う。天才的なアーティストが創作活動をし続けるエネルギーというのは、①や②のような湧き上がってくる如何ともし難い衝動のようなものなのだと思っていた。社会から批判されるような表現をあえてやっているのも、他者からのどう評価されるかなんてことは気にせず、自分のインスピレーションのみを信じて生きているのだと思っていた。

しかし、必ずしもそうとは言い切れず、むしろ③や④がかなり大きなエネルギーを生み出しているのではないかという気がした。シーレが所属していたコミュニティの仲間たちからの評価は気になっていただろうし、国際的な名声を得られたことは彼にとっても大きな喜びだったのではないかと思う。コミュニティからの承認、お金、パートナー、そういった生きるための原始的なニーズは天才的なアーティストといえど当然持っていたはずだ。

彼の絵を見ただけだと、そこに表現されている衝動性の強さや不安の大きさに圧倒されて、シーレ自身も病的に不安定な精神を抱えていたのではないかと思ったものだったが、意外と普通の人間と同じようにコミュニティに所属し、パートナーとの関係性に苦しみ、どうやって生計を立てようかと悩み、平凡に生活をしながら生きていたのかもしれないと思った。

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