プロミュージシャンになる人って②
好きなことで生きていくことは大変だ。
時々お客さんから、
「プロ(専業という意味)でやってるの?」とか
「じゃあいずれはプロを目指してるの?」
なんて聞かれたりすることもあるのですが、私がジャズと出会ったのは社会人になってからでして、
今までの人生で「音楽一本でやっていきたい!」と思ったことは(ほぼ)ありません。
今の自分の実力(集客力)や社会的ニーズを勘案して、今後の見通しがたつとは思えないのです。
「貧すれば鈍する」
これが小賢しい私の座右の銘(というほどカッコいいものではないけど)でして、
ある程度の経済的余裕が無いと、心の余裕も無くなるんじゃないかと考え、それを恐れています。
このやり方(アマチュア)だとトップにも多くは一流にもなれないでしょうが、皆が皆、尖りきらなくても良いと思っています。
このあたりの考え方は経年によって変わるかもしれませんが、今はそう思っています。
だから専業で音楽をやっている人に尊敬の念を抱いていますし、ある種の「好奇心」もあります。
誰しもが、学校を卒業するとき、人生の岐路に立った時、一度は「安定」か「やりがい」かで葛藤した経験があることでしょう。
そんな時に「えいや!」っと好きなことに飛び込むまでのプロセス、思考が知りたくなったので可能な限り、
質問してみたり、推察してみたりしました。
まずはその分野に対して「情熱に溢れて、それが止められなかった人」
カッコいいですね。「三度の飯より好き」という言葉が示す通り、寝食を忘れるぐらい好きで、
気付いたらプロになっていた、ぐらいの人。そういうの「好きの熱量」のことを「才能」って呼ぶのかも。
若しくは幼少期からの家庭環境(両親が音楽家)などの影響で、プロになるのが当たり前だったという人も居るでしょう。
私が「プロには敵わね~な~」と実感したエピソードがあります。
2020年3月頃、未知のコロナウィルスに世界が恐れおののき、大阪のライブハウスでは全国初のクラスターが発生、
「週末の大阪と兵庫の(緊急を要さない)往来禁止」という要望が知事から出され、
「今、音楽活動なんて何考えてんだ?」みたいな過度の社会的圧力があった頃のこと。
4月上旬に数ヶ月前から企画していたブッキングライブがあって、対バン相手も楽しみにしていてくれていたのですが、
私は諸々の事情を鑑みて「カルテットの出演キャンセル」という苦渋の決断を下しました。
音楽よりも関係者の生活や健康を優先しました。そのことをメンバーに伝えたところ、
専業プロのメンバーが「結城さんさえ良ければ、折角の機会なんでピアノトリオでやってもええっすか?」
と電話口であっけらかんと言ってのけたのでした。素直に「スゲェ」と思いましたし、
彼の音楽的技量含め、そういうところを尊敬しています。そんな状況下だから集客はゼロの可能性だってあったのに。
※ 結局、コロナ感染は拡大し続け、そのブッキングライブ含め、そこからしばらく音楽活動が出来なくなるのですが。
プロになるべくしてなった人は、そもそもの好きの熱量が違う。プロには敵わない。そう思ったエピソードでした。
次回は「それになるしかなかった人」の場合です。