短編小説「冬眠」

 弁護士としてこの法律事務所に勤めてもう5年、平凡な日々を過ごしている。夏の暑さが和らいできた夕刻、ひとりの女性が訪ねてきた。受付で簡単な調査票に書き込む姿を見ながら、30代だろうか、などと想像する。さあ、もうひと仕事だ。ソファーに腰を下ろした女性に向かってにこやかに話し始めた。
「それではよろしくお願いします。初回の相談は無料になっていますが、なるべく本題から話してください」
 女性はわずかにためらうそぶりを見せたが、姿勢を正し、話し始めた。
「結婚して1年ほど経った頃です。突然、夫が亡くなりました」
「それは、ご愁傷さまでした」
「朝、夫が起きてこないので様子を見に行ったら、息をしていないのです。慌てて救急車を呼びました。病院に搬送され、死亡と診断されました」
「そうでしたか」
「私は夫を愛していました。ショックが大きかったのですけど、どうにか通夜の準備をしようとしていたら・・・夫が目を覚ましたのです」
「ああ、そういうことですか。それは嬉しかったでしょう」
「はい、それはもう。医者は首を傾げていましたが、そういうことはごく稀にあるんでしょうね。いったん作成された死亡診断書も破棄されました。息を吹き返したのは、死亡と診断されてから4時間後のことでした」
「よかったですね」
「はい。それから半年経ち、夫が死亡しました」
「ああ、そうですか・・事故でしょうか」
「いえ、また、朝になっても目覚めなかったのです。脈もないし、息もしていません。顔からは血の気が失せています。どう見ても死んでいました」
「それで?」
 身を乗り出していた自分に気づき、ソファーに座り直す。
「パニックを起こしそうになりましたが、救急車を呼びました。どこか冷静な自分がいて、電話では冷静に伝えることができました。病院に搬送され、死亡と診断されました。この人にとって人生で二度目の死亡診断です」
「ご愁傷さまでした」
「葬儀の手続きを始めないといけません。遺体も病院から運び出さないといけません。でも私は、もう少しだけ病院のベッドに寝かせて欲しいと病院の方にお願いしました」
「それは、どうしてでしょう?」
「生きてて欲しかったからでしょうね。また、同じことが起きるんじゃないかと。死に顔を見ていても、とても死んでいるようには見えません。前回だって、お医者さんは死亡と判定したのに生き返ったのです」
「お気持ちわかります」
「前回と同じ4時間が経っても夫は目を覚ましませんでした」
「ですか・・残念なことですね」
「ところが、次の日の朝、夫は目を覚ましたのです」
「え?本当ですか?」
 思わず大きな声が出てしまった。
「はい。夫自身も驚いていました。自分が死亡と診断される、それも二回も。もちろん駆けつけたお医者さんも驚いていました」
「なんともはや。まあとにかく、よかったですね」
「はい。ですが、それからちょうど1年経った日のことです」
「まさか・・」
「そうなのです。また夫が亡くなりました」
「ふうむ・・」
 まてよ、そもそもこれはなんの相談なのだ?話の核心が見えない。
「また、朝になってもベッドから出てこなかったのです。脈もありません。呼吸もありません」
 遮るようにひとつ咳をした。
「すみません、結論から教えてください。ご主人は、現在、生きておられるんですか?」
「はい、生きています」
「ということは・・また生き返ったということですね?」
「はい。そのときは、救急車を呼びませんでした。二度の経験で、病院に連れて行かれても治療が行われないことを知っていましたから。治療の必要がないほどに、完全に死亡していたのです。今回もまったく同じに思えました」
「いや、しかしそれは、念のため救急車を呼ぶべきだったかもしれませんが・・まあ、気持ちはわかります」
「ベッドに横たわる夫を見守りました。が、一晩たって翌朝になっても目を覚ましません。けっきょく、目を覚ましたのは3日後でした」
「3日!本当ですか?ちょっと信じられないんですが」
「本当です。私も、こんどこそもう生き返らないのだ、と諦めかけていました」
「そうですか・・でも、すみません、こちらは法律事務所ですよ?相談するなら病院でしょう」
「もちろん病院には相談しました。夫も恐怖を感じ、必死にこの冬眠とも呼べる症状を究明しようとしました。でも、病名すら突き止められなかったんです」
 女性は息を軽く吐いた。
「そうしている間に、いつまた冬眠が始まってしまうかもしれません」
「ですね」
「でも、私ども夫婦はだんだん、冬眠すること自体は恐れなくてもいいのでは、と気持ちを切り替えるようになりました。さっぱり原因がわからないんですもの」
「なるほど・・」
 それにしても、これはなんの相談なのだ?
「寝ているのと変わらない、と夫は言うようになりました。たしかにそう言われてみると、寝ているのと死んでいることの差ってなんでしょうね?」
「睡眠中も本人の意識はないですもんね」
 とにかく相槌を打ちながら聞くしかなさそうだ。
「はい。そうして、3回目の死亡から2年後に、また夫が・・」
「来ましたか・・」
「はい。死亡しました。冬眠しました、と言い換えましょうか。そのときも救急車は呼びませんでした」
「そうなるでしょうね。何日で生き返りましたか?」
「2週間でした」
「えっ・・」
「長いですよね。4日を過ぎると不安で胸が押しつぶされそうでしたが、不思議と悲しい気持ちにはなりませんでした」
「旦那さんのお体は大丈夫なんでしょうか?」
「不思議なことになんの不調もないようでした。ただ、目を覚ました夫は、2週間と聞いて驚きました」
「それはそうでしょうね。どんどん長くなってますしね」
「そうなんです。前向きに生きようとしていた夫も、とうとう恐ろしいことに気がつきました」
「と、言いますと・・?」
「自分が生きていることがわかってもらえないと、冬眠している間に火葬されてしまうかもしれないということです」
「た、たしかに・・」
「夫は、次の冬眠に備え、準備を始めました。夫の職業は先ほど記入させていただきましたが」
「IT企業、とありますね」
「そうです。全国に30ヵ所以上の拠点があり、リモートワークも増えています」
「なるほど」
「夫は会社に気づかれない方法を考えました。もし冬眠してしまっても、会社にさえ気づかれなければ、それはただの睡眠と変わりません。私さえ黙っていれば、ですけど。夫は持てる力のすべてを使って、ビデオ会議に自動で応答し、自分の映像が流れる仕組みを構築しました」
「なるほど・・うまくいきそうですか?」
「はい。と言いますか、それ以上です」
「ん?」
「いまだに会社には気づかれていません」
「もしかして・・いま、ご主人はその、と、冬眠されていると・・」
「そうです。もう3ヶ月になります」
「さ、3ヶ月?その間、ご主人は息をしていない?ベットの上に横たわっている?」
「そうなんです」
「それは、あの、申し上げにくいのですが、すでに亡くなっておられるのでは」
「そうかもしれません。でも、どうやって夫が死んでいることを確認すれば良いのでしょう?」
「医者に見せれば・・あ、いや、そうか・・」
「そうなんです。死亡と診断されても、それが間違いだった、ということがこれまでに何度もあったんです。夫に関しては死亡診断が当てにならないんです」
「ご主人は、その、体が腐ることもなく・・」
「はい」
「でも、脈もないし呼吸もない」
「そうです。それで、あの、相談なんですけど」
「あ、そうでした、相談内容を聞かなければ。いや、ちょっとびっくりしてしまって仕事ということを忘れていました」
「いまの夫を医者に見せると、間違いなく死亡と診断されます」
「あ、はい。そうでしょうね」
「そうすると、葬儀というのが行われます」
「・・・」
「夫は火葬されます」
「・・・」
「私は、夫が生きていることを知っています。だから、医者に見せるのは夫を殺すことと同じです。殺意があるということになります。その場合、私は殺人罪で裁かれるのでしょうか?」


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